グンマーの日本百名城に選ばれている箕輪城ではなく、伊那谷の北の方、箕輪町の中心地すぐそばにある城。
JR飯田線木ノ下駅から西に向かって町道を登ってゆくと、養泰寺という寺がある。その裏にある宇賀弁才天女堂というお堂の裏手の墓地が城跡。
町道の脇に車を停められそうな狭いスペースはあるが、養泰寺の駐車場も利用できる。
スペースの脇には説明板が立っており、その脇から入ってゆくと、すぐに鋭い切岸が現れる。
山道が脇に登っているので、そのまま進むと墓地に出る。
その写真を撮るのはさすがに憚られるので、ナシ😅
そして墓地の反対側まで歩いてゆく。
南側の末端には立派な土塁があり、西の方に向かって高くなっている。
上の方に説明板らしいものもあり、墓地としてだけでなく城跡としても整備されているようだ👏

いやいや、曲輪一つだけの小規模な城と侮っていたら、とんでもなく巨大な遺構を持つ素晴らしい城だった😊
戦国時代まで箕輪氏が居城としていて、城の規模ははっきりしないと現地の説明板にはあった。
もしかしたら、往時は単郭だったのではなく、今は潰されて失われた曲輪を従えた、もっと大きな城だったのかな?😢
★箕輪城
長野県上伊那郡箕輪町中箕輪
駐車場は養泰寺の駐車場が利用できる
丘城
(2021年8月3日 記)
(2025年1月5日 マップ追加)