村上義清が武田氏に敗れた後、上杉謙信の傘下に入って本拠を構えた城として知られる。
姫川沿いを走る国道148号にも入口の標柱が出ているくらいで、広く売り出したい城なのだろう。
国道148号は何度も往復していて、入口の標柱も何度か見ていたが未訪問だった根知城に、このたび登ってみることにした。
国道148号から根知川に沿って少し遡り、すぐのところにある勝蓮寺の奥に登城口がある。
真夏の今は、見ての通り🌿🌿天国で、突っ込むには少々勇気のいるところ💦

つづら折れの山道を登ること20分で道が左右に分かれる。
主郭は左だが、まずは右へ入ってゆくと尾根を下ってゆくようになり、すぐに城郭北端の堀切に当たる。
この道が大手道らしい。
堀切のすぐ上は虎口状になっているが、真夏の今はこの通りの🌿🌿…
堀切から上に向かって見ている

大手道は堀切を土橋で渡っている

西側に落ちる竪堀は🌿が割と少なかった✨

堀切の傍らには標柱があるのだが…
何だろう、この打ち捨てられた感…😭

山道の分岐点まで戻り、左へ進むとひと登りで練兵場に着く。かなり広大。
今は🌿🌿で当時の面影が無いのは仕方ない…😢

練兵場からは、坂虎口状ですぐ上の殿屋敷に登ってゆく。

この高さが相当あって、殿屋敷の切岸はかなり鋭い。
下には段郭が一つ挟まっている。
ちょうど西空に傾いた日差しを浴びて、木漏れ日に照らされた土と緑が神々しく輝いていた✨

殿屋敷のある段に登り詰めると、右側が1段高くなっている。
この上が殿屋敷…

…って、曲輪は見事な🌿🌿で、面影は全く消し去られていた…😢
なかには石垣もあるらしいが、このヤブの中に突っ込んでまで見に行くものでもないだろう…💦

ココの案内はちゃんと見える位置に掲げられていた
…って、立木に打ち付けられている😮

殿屋敷からさらに登る💨
途中のヒノミなる曲輪の下あたりに来ると、左の下側が大きくえぐれている。
コレ、竪堀のてっぺんらしい😮

覗き込んでみると、確かに沢状地形がかなり下まで直線的に伸びている。
やはり🌿🌿で分かりにくいが…😅

ヒノミの下は腰曲輪が取り巻いていて、東側から回り込むように登る。
左奥に青い屋根が見えるが、ごく小さい物置のような小屋だった…

正面の木段を登るとヒノミ
真ん中にトンガリ屋根の小屋が鎮座している。
表札には『根知風の館』とあり、山小屋らしい😮
ネットで少し調べたが、この小屋に関する記事は見つからなかった…
それほど深い山ではないが、避難小屋として用意したものなのか…?🤔

このヒノミは、ちょうど主郭までの中間点ぐらいだろう。
さらに奥へと入ってゆく💨
(2021年7月28日 記)