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鬼場城を攻めたあとは南に反転して、杖突峠への道のトバ口近くにある干沢城に登った。

この後また北に反転して白樺湖の麓の朝倉山城に行くことになるので、ジグザグ…😅


まったく、計画性のカケラもない…


2台分ぐらいの駐車場がちょうど国道152号の橋の下だったので、日除けに使わせてもらった😅


すぐ上に墓地があり、干沢城の案内が立っているので迷うことはなかったが、かなりの急登💦

それも10分くらいで城郭直下の平場に出る。

上の主郭部は、いかにも城の雰囲気を出している。

城への登り口から…
段郭が見えている。

東側の切岸は相当に鋭く、高い😮

そして主郭
ソフトボール場くらいの広さがあるか…

下から見た印象よりは🌿が多くなってくるが、その傾向は奥に行くとよりハッキリする…😭

主郭北側の段郭。右奥が主郭。

ここには戦闘時に投石するための「戦闘石」が積まれていた😮

ハッキリ戦闘石とされている石がこれだけ積まれているのは初めて見た…
やっぱり、まだまだ城修養が足りませぬ😅

北に進むと二郭(にのくるわ)。
その間には浅い空堀があり、東側にはキレイな竪堀を落としていた✨

そして二郭。
ここもけっこうな広さ、そして🌿がいよいよヤブにパワーアップしてくるところ🥶

西側の帯曲輪も、夏草に覆われて緑が美しい✨

そして…
立ってるんですな🤣

もちろん結界も😅

二郭の北側には見事な空堀✨
三郭(さんのくるわ)側から眺めた2枚目が印象的だった😀


コレ見ていて、ココが兵どもが夢の跡か、と思ってしまった😊

そして三郭。



さらに先の四郭に降りてみると、切岸も素晴らしい✨

全体的に緑が濃いぃ目だったが、その緑が美しさをいっそう引き立てているようだった😊
もっとも、これは城の本来の姿ではナイのね…

諏訪氏大祝家の居城であり、惣領家と大祝家の勢力争いによって文明年間には血なまぐさい暗殺事件も起きた。
その後惣領家の攻勢によって城を追われて高遠に撤退、天文年間に武田氏と結んで奪回したが、その後は武田氏の勢力に吸収された様子。

★干沢城
長野県茅野市安川安国寺
国道152号の高架橋下が登城口。駐車場2台分
山城(比高100m)