執着からの解放。断捨離で見つけた今の自分 | モダン金継ぎ【グルー継ぎ】はありのままの姿を認めて大切にするハンドメイド

モダン金継ぎ【グルー継ぎ】はありのままの姿を認めて大切にするハンドメイド

ハンドメイドだからできる、暮らしの中から楽しみながら持続可能な社会を実現すること。
無理するのではなくて、頑張るのでもなくて、ゆるく、楽しく、それでいて、ちゃんと未来の子供達に今よりもっと良い社会を残したいと考えるためのブログです。

私は、58年の人生で、7回引越しを経験しています。

50代までは、引っ越すたびに、増えていく暮らし方でした。
結婚して、家族が増え、家が広くなり、物が増える。
家族それぞれの暮らしがあり、必然的にものは増え続ける。

50代からは、息子たちが順番に社会人となり、自立していき、
ものは少しずつ減っていきました。
たくさんの部屋も必要なくなり、夫婦2人に戻ったことを機に、それまでの半分の広さの、小さな家に越しました。
ミニマムな暮らしの始まりです。

断捨離の日々の中で、
私が1番執着していたのは、
家族の写真やビデオなどの"思い出"でした。
子供が書いてくれた手紙や、子供の時の工作なども捨てられなかった。

あることをきっかけに、処分すると、
意外とスッキリとしました。
私は、過去への執着を手放したのです。
子供達への執着。という気持ちもあったかもしれません。

その、きっかけとなったあることとは、
写真やビデオなどの思い出の品が、「今の自分にふさわしいのか?」と、自分に聞いてみたのです。

今の自分に過去の思い出はふさわしいのか?
と考えた時、答えはNOでした。
私は今を大切に生きていて、今を充実させたいと考えているし、今この時を、楽しく過ごすことを大切にしている。
そして、過去よりも未来に目が向いていて、
これからどうしたいか?これからどうなりたいのか?
ということが重要だと思っている。

そう思った時、私にとって、過去への執着は薄らいでいました。
ほんの数枚の、大切にしたい写真だけを残して、全て処分できました。

思い出は、ものではなくて、記憶にちゃんと残っていて、今の自分の中に確実にある。
そう考えられるようにもなりました。

現在も、スマホが出現してからの写真や動画は、知らない間に溜まっていますが、それも年末の時間のある時に、毎年厳選しています。

私の執着は思い出でしたが、
手放せない理由は(執着)は人それぞれで
私のような思い出の人もいれば、
高かったから捨てられない
頂き物だから捨てられない
勿体無いから捨てられない
いつか使うかもしれないから捨てられない
などの理由があるらしいです。
捨てられない。は、どれも執着。

思い出だから、高かったから、頂きものだから、は過去への執着
いつか使うかも、勿体無いから。というのは未来への執着

私が写真やビデオの思い出のものを手放したときのように、
「今の自分にふさわしいかどうか」の判断基準でみてみると
意外とその執着は消えてしまいます。

高かったからと言っても、今の自分に合っているのか?
今の自分は、いつか本当に使うのか?
そんなふうに、自分の気持ちを聞いてみて下さい。

執着を無くすと、すごく楽になります。

そして次にものを増やすとき
それは本当に必要か?
最後まで使い切ることはできるのか?
一応買っておこうと、増やそうとしていないか?
と、よく考えてみる。

執着しているものに占領されていると、暮らしは、とても窮屈です。
執着は、無くすことへの不安からくるもの。
手放すと、不安からも解放されます。

暮らしの中にあるものは
ふさわしくて、必要なもので満たしませんか?