こんにちは!
1月9日(日曜日)に京都散策をしました。
年末から、京都に行く機会が増えて京都を再発見している僕です。
大阪からは電車や車で1時間程度で行くことができます。
京都へ行く時には、着物を着て行くことが多い僕です。
今回も着物で散策しました。
京都散策、振り返ってみましょう。
つゆにくず粉や片栗粉などを入れ、とろみをつけた餡(あん)をかけたうどん。
京都では細切りの油揚げを載せて、くずあんを掛け、
おろし生姜を添えたうどんを「たぬきうどん」と呼ぶのだが、
そこから油揚げを除いた物のことを「あんかけうどん」呼ぶ。
寒い時に食べるあんかけうどんは美味しいです!
生姜が身体を温めてくれます。
八坂神社は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、
クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、
ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)を祀ります。
日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、
ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、
クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。
八坂神社の歴史は、
社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。
都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。
八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、
明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。
京都は晴天で、八坂神社の朱色と青空の青が綺麗。
この日は十日えびすも行われていました。活気溢れる八坂神社でした。
昨年、夏と秋に京都へ旅しました。
八坂神社近くのホテルに泊まったこともあり、朝、散歩したことを思い出します。
誰もいないひっそりとした八坂神社。
今日の賑わいからは想像できないほど静かでした。
朝の京都の風景は、僕の大好きな風景になりました。
知恩院は、全国に7000余の寺院を擁する浄土宗の総本山。
法然上人が晩年住まわれ、念仏の教えを説かれたお寺です。
江戸時代、元和7年(1621)、二代将軍徳川家忠が三門を建立、
また寛永16年(1639)に徳川家光公が御影堂を建立するなどし
、現在の寺が形づくられている。
知恩院へ来て、まず対面するのが高さ24メートル、幅50メートル、
木造の門としては日本最大級の三門(国宝)である。
この、三門を潜り御影堂(本堂)へ行くには、目の前の「男坂」と呼ばれる
石段を登るか、右手に造られた緩やかな坂の「女坂」を登るかのどちらかである。
男坂は勾配がきつい石段のため、心臓や膝を気にされる人は「女坂」を奨める。
⑤知恩院 その2
高校生の時、ひとりで知恩院に行きました。まだお小遣いが1ヶ月4000円だった頃…。
交通費とお昼ご飯代で、その1ヶ月の小遣いのほとんどが無くなるような旅でした。
もちろん日帰りです。ドキドキしながら京都へ行きました。
本堂に入り、正座をしてお経を聴きながら自分の将来のことを考えていた事を思い出します。
あれからもうしばらく経ちますが、今もそのときの事を鮮明に覚えています。
知恩院は、僕の落ち着く場所です。何かを感じられる、教えてもらえる大切な場所です。
八坂神社(江戸時代までは祇園社)の門前町として鴨川から
東大路通・八坂神社までの四条通沿いに発展した。
京都有数の花街(舞妓がいることでも有名)であり、南座という歌舞伎劇場もある。
現在は茶屋、料亭のほかにバーも多く、昔のおもかげは薄らいだが、
格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれる。
北部の新橋通から白川沿いの地区は国の重要伝統的建造物群保護地区に選定、
南部の花見小路を挟む一帯は京都市の歴史的景観保全修景地区に指定され、
伝統ある町並みの保護と活用が進んでいる。
また、四条通と東大路の交差点は「祇園」交差点である(しばしば「祇園石段下」とも言う)。
交差点付近に京都市営バス・京阪バスの祇園バス停留所がある。
⑫三条大橋 その1
日本橋から120余里(500キロメートル弱)、
天正18(1590)年に豊臣秀吉の命により改築された三条大橋は、
東国への出発点として、また京都の表玄関としての役割を果たしていた。
橋は江戸時代にたびたび流失したが、幕府によりただちに修復され、
昭和25(1950)年に現在の姿になったという。擬宝珠(ぎぼし)は重要文化財。
⑬三条大橋 その2
最後はやはり!これ!さくさくロースかつパフェ!
気になっていたトンカツが入っているパフェ!
食べることが出来て、うれしかったです!
味もよく!美味しくいただきました!
今回の京都散策は、こんな感じでした。
懐かしさを感じたり、新しいものに出会ったりしました。
やはり京都は特別な場所です!日本を感じる場所です。
また京都へ行きたいと思います。
また…