「優性」「劣性」→「顕性」「潜性」(遺伝の法則を表現する際に使う用語) | 安濃爾鱒のノート

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これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 日本遺伝学会が、このほど、

  (遺伝の法則を表現する際に使う用語である)

     「優性」「劣性」は、今後は、使わないようにする

という方針を打ち出したようだ。

 メンデルの遺伝学の用語である "dominant" と "recessive" の訳語として使われてきた「優性」「劣性」は、遺伝子の特徴の現れやすさを示すにすぎないが、優れている、劣っているという語感があり、誤解されやすい。「劣性遺伝病」と診断された人はマイナスイメージを抱き、不安になりがちだ。日本人類遺伝学会とも協議して見直しを進め、

   "dominant" の訳語である 「優性」 は 「顕性」、

   "recessive" の訳語である 「劣性」 は 「潜性」

と言い換える、という。

 これについて、《 また「ポリコレ」かよ 》《 直ぐに「差別だ」「ヘイトだ」と騒ぐんだなぁ 》という感想を、ネット上で見かけたが、それは違うんじゃないかな、簡単に言うと、似非科学に歪曲されて利用されるたびに指摘し訂正するのに疲れたのだろう、と私は考える。と、書いただけだと理解されないだろうな、と思うので、この件を、もうちょっと丁寧に書いてみる。

(「ポリコレ」とは「ポリティカルコレクトネス」の略で、英語では "political correctness"、以下 "PC" と表記する。)

 

  「他力本願」という言葉がある。
 元々は、浄土宗・浄土真宗の用語で、「他力」の「他」とは阿弥陀如来を指し、「力」とは如来のはたらきを指し、「本願」とは(人間の欲望を満たすような願いのことではなく)あらゆる人々を仏に成らしめようとする願いのこととされる。で、「他力本願」とは 《 縁あって修行の実践により自らの力で悟りを開こうとする人(:難行道・聖道門を選ぶ人、修行仏教)や、その教義を否定するものではない。しかし自らの力で悟りを開こうとすることは、不可能に近いくらい難しい 》 という意味の言葉であるとしている。

 一方、世間(浄土宗・浄土真宗の世界以外)では、この、「他力本願」の語を、「ひと任せ」・「他人依存」・「第三者に任せっきりにして自分の手を一切汚さずに物事を完遂する」というような意味で用いている。
 昔、浄土真宗が、「他力本願」の語を、後者の意味(:「ひと任せ」・「他人依存」)で用いることを辞めてほしい と 要請したことがあった。
 しかし、現在でも、この「他力本願」は、語源である浄土宗・浄土真宗でいう意味以外の、「ひと任せ」・「他人依存」のような意味で使われ続けている。
 生物学用語の遺伝のメカニズムを説明するための用語である「優勢」「劣勢」についても、世間では、本来の意味とは違う意味でよく使われる。

 特に困るのは、似非科学が人を騙すために使われていることである。

 これに対し、一部の科学者が、そのようなものを見かけるたびに、その過ちをマメに指摘する活動を続けているが、一向に無くならない。
 そこで、( 浄土真宗が「他力本願」の"誤用"をやめてほしいと呼び掛けても効果がなかったという前例も考慮して )生物学の方が、誤用できない (or しにくい) ような言葉に変えよう、ということなのだろう。

  というわけで、別に、生物学会内に PC原理主義者がはびこっている、とか、言葉狩りが起きている、とかいうことではないだろう。

 

 

             杉浦 憲二 (Sugíura Kenji)