「不運」と考える国民性と 陰謀論を考える国民性 | 安濃爾鱒のノート

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なんというか、私の「ノート」です。

 先日、7月30日は、丁度70年前に、米海軍重巡洋艦「インディアナポリス」(USS Indianapolis, CA-35) が、日本海軍の潜水艦「伊58」に雷撃され沈没した日ということで、このシーズンは、次の話を持ち出す文章によく出会う:
 米海軍重巡洋艦「インディアナポリス」は、テニアン島へ原子爆弾を運んだ後、日本の潜水艦によて撃沈させられたのだが、もし、これが、テニアン島からの帰りではなく原子爆弾を運んでテニアン島へ向かっているときに日本の潜水艦が沈めていたら、広島・長崎への原爆投下はなかった。

 まことにもって、不運な、アンラッキーな話である。

 それで思い出すのが、ミッドウェー海戦の話。この時も、日本側にとっての不運が重なって、日本側の大敗北・日本海軍の大損失となっている。

 と、このように、先の大戦の話では、不運だった、という話をよく聞く。

 ところが、パールハーバー攻撃の大成功については、あれだけの大成果を上げることが出来たのは、いろいろと運が良かったところもあるのに、それは言わない。なにか、パールハーバー攻撃の大成功は全て日本側の実力だということにしたい、ということなのだろうか。

 大成功 大きな成果を上げたときは、実力
 大失敗 大敗北のときは、不運

 これに対し、米国側の態度はどういうものか、というと、パールハーバーで酷くやられたことについて、米国では、まず 一般大衆層は、《 アンフェアな不意打ちをした日本が悪い 》、ということにしたがる。奇襲攻撃でやられるのは、奇襲に備えた守備をちゃんとやってなかった側がバカという戦術上の常識論を圧殺し、米国自身散々奇襲攻撃をしているという事実も黙殺して、《 アンフェアな不意打ちをした日本が悪い 》 と考えるのが米国の大衆では一般的である。因みに、日本軍は、1941年12月、米国のパールハーバーへ奇襲攻撃をかけるのとほぼ同時に英国の軍艦へも奇襲攻撃をしており、こちらも大成果を上げている。英国皇太子を意味する名前(HMS Prince of Wales)を冠した軍艦を轟沈したのである。しかし、英国人は、「不意打ちした日本はアンフェア」などというバカっぽいことは言わない。そして、米国人でも、インテリ達(インテリのつもりを含む)は、流石にそんなバカっぽいことが言えなくて、その代わりに米国政府陰謀説を唱えている。米国が日本軍なんかにまんまとやられる訳がない、あれは米国政府の陰謀で、米国政府がわざと日本側に攻撃させてやったのさ、と考えるという現実逃避である。

 日本は、
  大成功 大きな成果を上げたときは、実力
  大失敗 大敗北のときは、不運
 米国は、
  日本に対し優位にたって 大きな戦果を挙げている事は、実力
  パールハーバーで酷くやられた事は、敵のアンフェア陰謀


という訳で、この両者の考え方は、成功した時と失敗したときでは 不釣り合いのダブルスタンダードであるということでは同じだが、自分の側の失敗の原因を直視せずに逃避する際の実際の手法として、日本は、不運、つまり、「天」とか「神」のせいにするのに対し、米国は、アンフェア―な騙し討ちをした日本のせいとか、自国政府のトップがしかけた陰謀のせいとか、つまり、現実に存在する誰か生身の人間のせいにしようとする、という差がある。
 そういえば、最初にあげた、重巡洋艦「インディアナポリス」の艦長(Charles Butler McVay III)も、軍法会議で、日本の潜水艦に撃沈されたのは、艦長個人のミスということにされ、結局この艦長は自殺している。攻撃した側の日本の潜水艦の艦長(橋本以行中佐)の方は、インディアナポリスの艦長のミス説を否定しているというのに。
 日本式と米国式、どっちがマシか、というと、それは個々人の価値観人生観美意識の問題だろうけど、私なら、日本式の方がマシではないか、と、思っている。