昭和初期の朝日新聞縮小版を読んでいた者が長年抱えていた悩み | 安濃爾鱒のノート

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なんというか、私の「ノート」です。

 小学校の3年生か4年生の頃だったと思うのだが、週に1回くらい、国語の時間、通常の授業は休みにして図書室に行って好きな本を読んでいい時間にしていたことがあった。多くの生徒たちは喜んでいたと思う。なにしろ、図書室で、本を読んでいるポーズさえしていれば、支配欲の強いヒステリー女から解放されるのだ。この女教師は、一日に何度も、生徒たちが自分の完全な支配下にあることを確認するためだけのナンセンスな行為を行った。また、物事を論理的に考えるのが苦手だったようで、算数や理科の授業はいろいろおかしかった。一度、理科の授業で、「虹は何色 (なんしょく) ?」と言う質問に対し、私が「虹の色はじわじわ変わるので、何色 (なんしょく) だなんて、数えられない。強いて言えば色の数は『無限』」という風に答えたら、そこから延々と立たされたまま罵倒され続けた。そういう教師だったから、図書室で本を読んでいる振りをしていさえすればこいつから解放されるという時間は多くの生徒に人気があった。皆んなは表面的には「僕は(私は)本を読むのが大好きなんですぅ」という体で、北朝鮮のテレビに出てくる子供たちのような表情をしながら、図書室に向かったものだった。しかし、私は、その時間が嫌いだった。読書自体は嫌いではなかったのだが、読書という、本来個人的にやることを、みんなでやる、という事が受け入れられなかったのだった。今から思えば、「皆でいっしょにマスターベーションをするようなものだ」とでも批判してやればよかったのに、と思う。

 とはいっても、その時の現実の私は、皆んなと一緒に図書室に行かざるを得なかった。でも、小説の類は、読まなかった。その代わりに古い朝日新聞の縮小版を読んでいた。小学生だった私が行った、ささやかな抵抗であった。こんなことをして、また、支配欲過剰のヒステリ女に苛められるかと思いきや、何故か、怒られなかった。古い新聞を読むことを、勉強熱心、自分の善き指導の賜物、と解釈したのかもしれない。

 ま、そんな理由で、私は、昔の朝日新聞縮小版を よく読んだものであった。それは、最初は 自分なりのささやかなガキっぽい抵抗で始まったのだが、読みだしてみると、これが 案外 面白かった。但し、「面白かった」と書くと、誤解されそうだが、私がその時感じた「面白さ」は、名作文学(と呼ばれるもの)を読んでみたら面白かった、とかいうものではない。一番近い感想は、スポーツ新聞の面白さである。スポーツ新聞は 大抵 特定のプロ野球チームを贔屓にしている。報知とか その他 東京の多くのスポーツ新聞は読売を、大阪のスポーツ新聞は阪神を、名古屋では中日を、とかいう感じで。で、昔の朝日新聞における、日本軍に関する記事の内容は、スポーツ新聞の贔屓球団に関する記事と同じような感じの内容、つまり、贔屓の仕方が異常で、敵を異常に見下し罵倒し、異常に勇ましがりやで、根拠のない将来の楽観視などの妄想話の連続で、もうそういう矢鱈ガキっぽい話ばかりであった。贔屓のプロ野球チームがある人がそのチームが試合で勝った翌日にスポーツ新聞を買って読んで喜ぶような感覚で、私は、古い朝日新聞の日本軍の快進撃を称える記事を読んでいたのだった。

 その頃、つまり私が小学生位の頃は、第2次世界大戦について、《 一部政治家と軍部が暴走して起こしたもので、国民は(新聞社も含む)みんな反対していたのだが、反対すると酷い目にあわされたので、仕方なく協力していた 》ということになっていた。各新聞社とNHKは、《 自分たちは戦争反対だったのだが、検閲があって、そういうことは書けなかった(言えなかった) 》などと嘯いて、自分らには全然責任はなく、戦争の全責任は軍部にある、と軍部を非難しつづけていた。昔のNHKの朝の連続ドラマは、全て、こういう設定を前提にしたストーリー展開になっていた。

 昔の朝日新聞縮小版を読んでいた私は、この「定説」に違和感を感じていたが、もしそれを口にすると、日教組教師などのアサヒな「文化人」のフォロワー達に吊し上げにされることは明白だったので、臆病者の私は黙っていた。( 当時日本各地の学校で、日教組教師たちが、China の「人民裁判」を真似て 自分の教室で模擬法廷を開いて、警察官や自衛隊員の子供たちを吊し上げにしていたのだ。)  実際、一部の言論人が、《 戦時中、新聞は 戦意高揚記事ばかりだったじゃないか 》と言ったりもしたが、そういう人は、マスゴミ全体に寄ってたかって叩かれていた。マスゴミ各社は、「当時は厳しい検閲というものがあったのだ。」ということで誤魔化して逃げようとし、彼らの都合の悪いことを言う人を集団で攻撃した。集団的自衛権の行使だ。

 それでも、そういう攻撃に負けず、過去の新聞社が行ったことを暴き続ける人たちが何人か居た。彼らの主張を乱暴にまとめると、こういうものである:

 ・当時は、新聞各社は、戦意高揚記事ばかり書いていた。
 ・戦意高揚記事ばかり書いていたのは、
  そうすれば、新聞が売れて儲かったからだ。
 ・愚かな国民は、そういう勇ましい記事に影響されて、
  軍部に過剰な期待を擁いた。
 ・軍部は、国民のそういう期待に応えるべく戦線を拡大した。

この説明について、朝日新聞縮小版を読んでいた小学生だった私は、ここまでちゃんと判っていた訳ではなかったが、当時なんとなくオカシイなと思っていたことが、この説明で非常に良くワカルと思った。長年悩んでいた便秘が解消できたような快感であった。

 最近になって、新聞社は《 我々は戦争に反対だったのだが、検閲というものがあって… 》という嘘を言わなくなった。

 長年、マスゴミの攻撃に負けず、正論を言い続けた方々の勝利であるといえよう。

ところが、だ。昨夜、衆議院議員の中山成彬氏が Facebook に、以下のようなことを書いておられる:
…朝日の天声人語は「玉音放送を早めれば死なずに済んだ人は増えた、戦場になったアジア各国でもそれは同じ、8月15日は遅すぎた終戦の日でもある」と宣う。私達は、朝日がポツダム宣言の受諾に反対し徹底抗戦を煽ったことを知っている。反省とお詫びが必要では?

朝日新聞は、未だ 全然懲りてないようだ。