村山富市に言いたい:「黙れ、この人殺し」 | 安濃爾鱒のノート

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なんというか、私の「ノート」です。

 Twitter というネットワークサービスが始まった当初、twitter のせいでバカを世間にさらけ出すことになる人が次々と現れて、「 Twitter はバカ発見器」と言われたものだが、今 安倍内閣が進めている安保法制にも、そういうところがあるように思う。
 安保法制に反対とかいって、次から次へとおかしな人間が自己矛盾の破綻した論理モドキを喚きながら愚劣なパフォーマンスを晒している。もし、安倍首相が、安保法制は、こういうバカ炙り出しのためにもなると考えていたとしたら、首相はただ愚直なほどに真っ直ぐな人だと思っていたが、実はかなりの曲者なのかもしれない。法案の審議は国会議事堂の中で行われているのに、カメラを確認しながらパフォーマンスをする辻元センセーや(我々には醜悪なパフォーマンスでも、テレビの向こうのこのセンセーの支持者たちにとってはそうではなかったのだろう)、自分は夫の教え子と不倫し実の子供を捨てて愛人の下へ走った瀬戸内寂聴が、「子や孫の為に」という言葉を使ったり、と爆釣である。
 そんななかに、もう既に「終わった人」と世間で思われているような人が今更ゾンビのように現れて、この珍妙なパフォーマンス集団に参加してきて、その意外さに、発言のバカっぽさやパフォーマンスの醜悪さへの嫌悪さえ吹っ飛んでしまって、我々はただ驚いてしまうだけになっちゃうような人もいる。
 村山富市元首相のことである。
 しかし、このバカのおかげで、一つ、大切なことに我は々思い当たることになる。

 多くの人は、現実逃避の妄想平和主義の言う通りにしていたら、チベットのようになって、多くの人が苦しみ、多くの人が殺されることになる、と考えている。
 妄想平和主義のせいで、人が死ぬ、ということについて、可能性の問題、と考えているのではないか。
 そうではないのである。可能性の問題ではないのである。
 実際に、無責任な政治家の妄想平和主義への現実逃避の為に、人が沢山死んだのである。

 1995年(平成7年)1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。結局、この震災で、6,434名の方が亡くなっている。
 この被災地の近く、兵庫県の伊丹市と川西市に跨る広い地域に 伊丹駐屯地 と呼ばれる陸上自衛隊の駐屯地がある。中部方面総監部を置くほどの主要大駐屯地で、当然、多くの自衛隊員が居られる。
 彼らは、大震災発生時、直ちに車両に乗り込んで、出動できるように準備していた。ダンプカーの荷台に木製の長椅子を置いて幌をかけただけというような構造の非常に乗り心地の悪い乗り物にびっしり隊員が乗り込んで、出動をじっと待っていた。
 しかし、結局、彼らは、その状態で、数時間ただただ待ち続けなければならなかった。
 当時の首相であった村山富市が、妄想平和主義への現実逃避の為、自衛隊を毛嫌いし、自衛隊に出動命令を出さなかったからである。
 村山富市にしたら、自衛隊が、国民の為に立派に活躍して、国民から感謝され尊敬されることがよっぽど嫌だったのだろう。
 多くの自衛隊員が、伊丹の駐屯地内の車両のなかでじっと出動命令を待っている間、被災地では、瓦礫に埋まっている人、瓦礫に埋まって身動きでき無い状態で その後発生した火災による煙と熱気が迫っているという危機的状態の数千人の人たちが救助を求めていた。そして、救助の人手が足りず、次々と死んでいった。
 焼き殺された、と言うべきかもしれない。
 もし、その時の総理大臣が、村山富市のような頭のおかしな人間ではなく、自衛隊が直ちに出動していたら、多くの命が救われたに違いない。

 村山富市の妄想平和主義への現実逃避が、実際に、多くの人を殺したのである。

 そんな村山富市が、今、安保法制に反対するといって、バカなパフォーマンスを再開している。

 兵庫県民として、この村山富市に言いたい、
  「黙れ、この人殺し」
 

村山富市



 三宅久之 氏は、この村山富市 のことを「沈香も焚かず屁もひらず」と評したが、間違っている。村山富市 は人殺しである。

 一方、吉田茂元首相は、昭和32年の 防衛大学の第1回卒業式で、以下のように述べている:
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、

 歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。

 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。

 御苦労だと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは

 外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか

 国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
 言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが

 国民や日本は幸せなのだ。
 どうか、耐えてもらいたい。」