「恥の文化」と「恥知らずの文化」 | 安濃爾鱒のノート

安濃爾鱒のノート

これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 私は、昔、南米の Perú (ペルー) に住んでいたのだが、その頃に実際に私自身が経験した話である。
 Perú 人の多くは、日本人が "SUSHI" とかいうもので ナマの魚を食べることは知っていたが、そこから発生した誤解で、多くの Perú 人が、日本人は魚はナマでしか食べない、と思っていた。日系人ですらそうだった。だから、ある時期から日系人は日本へ出稼ぎに行き易くなって、「うちの息子が日本に働きに行くことになったのだけど、日本人は魚はナマでしか食べないから、日本には魚を焼く道具がないから、魚を焼く網を持たせてやらなきゃ」なんてことを真剣に言っている小母さんが現実に居た。(こういう小母さんに「私は日本人で日本に29年程住んでいたのだが、日本では魚はナマで食べるだけではなく煮たり焼いたりしても食べるよ」と教えてあげても「お前は何も判ってないから教えてやろう。日本では魚はナマでしか食べないのだよ」と言い返されるだけ) 
 また、TVのディスカバーチャンネルか何かで、日本のカプセルホテルが紹介されたらしく、多くの人が日本にはカプセルホテルというものがあるとは知っていたが、そこから、日本のホテルはみんなカプセルホテルだと思っている人も結構いたのだった。

 欧米人にとって、The God は唯一の存在であり、人間とは格別のものである。(ユダヤ教だと 「ヤハウェ」(: יהוה‎ Yahweh)、イスラム教だと「アッラーフ」 (الله‎, Allāh))
 日本やアステカ社会では、元は人間が死んで神になったというタイプの「神」もいる。
 日本では、明治天皇陛下や乃木希典将軍が神になっている。うちの近所の多田神社も、源満仲公などの源氏の祖となる武将たちを神として崇めて祭っている。靖國神社におわす護国の神々もそうである。
 アステカ族では、自分たちのコミュニティーを守るために戦って死んだものは神となる。日本の靖国神社と似た発想である。日本と違うところは、死んだ妊婦、つまり出産という命懸けの任務で死んだ女性もこれと同じと見做すところくらいか。
 欧米人は、これを知ると、まずは大変に驚き、次に、日本やアステカの神は、みんな、元々は人間だ、と誤解する。日本には、伊弉諾伊邪那美・天照大神などの神々、元は人間ということではない神がいるし、アステカ社会でもそうである。でも、日本やアステカの神の中に、元は人間の神が居ることを知って驚いた欧米人の多くは、日本やアステカの神はみんな元は人間だと誤解し、そう決めつけるようになるのである。

 英国の文化人類学者の Edward Burnett Tylor (エドワード・バーネット・タイラー) は、欧米の外の社会、つまり、遅れた社会(日本も含まれる)と彼らが考えているところでは、すべての物や自然現象に、霊魂や精神が宿る、と考えている、と説き、これを "animism" (アニミズム) と名づけた。
 確かに、我々が、神性や霊魂や精神を incarnate させるものの中には、欧米人が決して考えないようなものがある。しかし、《 すべてのもの 》 に 神性や霊魂や精神を incarnate する訳ではない。《 すべてのもの 》 としたのは、Tylor の誤解である。欧米キリスト教徒らしい傲慢な誤解である。

 Ruth Benedict (ルース・ベネディクト) という米国の文化人類学者が、"The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture" (邦題「菊と刀」)で、
  (欧米は善悪の文化だが)日本は恥の文化
  欧米人は善悪で考えるが、
  日本人は、善悪で考えることが出来なくて
  恥か否かで考える
と書いているが、これも上の Perú 人たちと同じ間違いをしている。

 日本人は、行動規範の中に、恥というものがある。
 欧米人の行動規範の中には、恥の概念がない。
 その差に気がついた、バカな(というか、いかにも欧米人らしい) Ruth Benedict は、
   日本人の行動規範は恥(だけ)
   欧米人の行動規範は 善悪、それが日本人には無い
と考えた。
 これは、自分たちはナマ魚を食べないが 日本人はナマ魚を食べると知って 日本人はナマ魚しか食べないと誤解したり、日本にはカプセルホテルがあり 自国にはないから 日本にはカプセルホテルしかないと誤解した Perú 人のように、日本人の行動規範には恥の概念があり、欧米人の行動規範には無いので、日本人の行動規範は、恥の概念だけで出来ていると勘違いしたのだ。
 正解は、
  欧米人の行動規範は、善悪の概念だけで、恥の概念がなく、
  日本人の行動規範は、善悪の概念と、恥の概念で出来ている
  (日本人も魚を煮たり焼いたりするように、日本にもカプセルホテルじゃないホテルがあるように)
ということであり、

Ruth Benedict は、
   欧米は「善悪の文化」 で、
   日本は「恥の文化
と呼んだが、正しくは、
   日本は 恥の文化
   欧米は 恥知らずの文化
と 言うべきなのである。

 この Ruth Benedict という学者サマ、自分自身は 治安の悪い 特に凶悪犯罪多発の 米国社会を構成している人間でありながら、そのことは棚に上げて、治安の良い社会を作った日本人を「善悪の概念がない」などと評しているところが、将に 恥知らず だなぁ、と思う。

n次元の世界に生きるものは、m次元(m > n)の世界が理解できない。

 

 

             杉浦 憲二 (Sugíura Kenji)