益田四郎時貞 と 「天草四郎」 | 安濃爾鱒のノート

安濃爾鱒のノート

これは web log ではありません。
なんというか、私の「ノート」です。

 戦国時代の武将の一人に、小西行長 という武将がいる。
 切支丹大名である。
 関ヶ原の戦いに西軍の将として参戦。関ヶ原は西軍の敗北に終わり、小西行長は斬首され、その家臣団は領地を失う。かれらは、起死回生というか失うものの無いヤケクソで、騒乱を起こす。
 その小西家家臣団の中に益田甚兵衛という武将が居て、その子に益田四郎時貞という人物がいる。

虚構の世界で「天草四郎」と呼ばれているキャラクターがいる。


 「宗教戦争」とか、「虐げられた農民の叛乱」とかいうことになっている「島原の乱」の
  「叛乱農民キリスト教徒集団」側の指導者
という設定の役割を担当しているキャラである。

 で、この虚構の世界での「天草四郎」なるキャラクターに対応する、実世界での実在の人物が、上に挙げた、
  (小西行長の家臣、益田甚兵衛の子)
    益田四郎時貞
である。

 結論からいうと、島原の乱は、

   ( 虚構の世界とはだいぶ違って )

   小西家の浪人による起死回生やけくそ謀反が核であり、

   キリスト教を表看板にして
   多数の地元農民を扇動し、
   或いは、強制的に巻き込んで
   農民達(特に女子供)を人質にして
   山城に立てこもって、

   そのため ( やけくそ浪人である自分達のみならず )
   罪のない人質の農民たちも巻き込んで
   死に至らしめた悲劇

であった。

 で、益田四郎時貞とは、そんな
    悪党集団の頭
であった。

 この時代の記録、例えば、

  『細川家記』(:細川家の編纂した史料)
  『天草島鏡』(:7代目上田源太夫宜珍(よしうず)が著した歴史書)

等によると、反乱の原因を 年貢の取り過ぎ にあるとしているが、島原藩主であった松倉勝家は自らの失政を認めず、反乱勢がキリスト教を結束の核としていたことをもって、この反乱をキリシタンの暴動と主張した。松倉勝家が、自分のミスを隠し、かつ反乱を鎮圧する兵力として幕府の力を利用しようと企んでのデマだった。

 これゆえ、
   「島原の乱 = キリシタンの反乱(宗教戦争)」
という見方が定着した。

 しかし実際には、この反乱は小西家に仕えていた浪人や、元来の土着領主である天草氏・志岐氏の与党などが主な勢力であり、一般的に語られてきた、虚構の世界に引きずられて作られたイメージ:
   「キリシタンの宗教戦争と殉教物語」
どころか、百姓一揆のイメージとして語られる「鍬と竹槍、筵旗」でさえ正確ではないのである。

 反乱軍に参戦したキリシタン達は 現在に至るまでヴァチカンから「殉教者」として 認められていない。

 戦国時代から江戸時代初期にかけて、切支丹は、なにか弾圧される被害者のようなイメージが焼き付けられているが、このころ、切支丹は、日本人を奴隷として売り買い、とくに日本人の少女を東南アジア港町やヨーロッパの都市の売春宿に売り飛ばしているし、日本国内でも、切支丹大名は、自領内の神社仏閣の破壊を行っており、その実態は、とても《 弾圧される被害者 》とは言い難いものであった。

 この一揆は島原半島の雲仙地溝帯以南の南目(みなみめ)と呼ばれる地域の組織化には成功し、ここに属する領民たちは反乱に賛成する者も反対する者も強制的に反乱軍に組み込まれたが、これより北の北目(きため)と呼ばれる地域の組織化には成功しなかった。

 北目の領民の指導者層は雲仙地溝帯の断層群、特にその北端の千々石断層の断崖を天然の要害として、一揆への参加を強要しようとして迫る反乱軍の追い落としに成功したので、乱に巻き込まれずに済んだ。

 当時、近郷の農民がお上に対し

  「近郷の村々の者が拉致されている。助けて欲しい」
  「仲間に入らないと殺すと脅されている。助けて欲しい」

と訴えている文書が、近年 続々と発見されている。

 ( NHK 『堂々日本史』 より )

 島原の乱に於いて原城が落城した時、1名を除いて全員が幕府軍により殺害されたといわれている。

 その助かった1名というのは、山田右衛門作という人物。
 彼は元々一揆勢に参加する事に気乗りがしなかったが、妻子が人質にとられたため、仕方なしに参加することになった。

 天草四郎は、今で云う、南米ペルーの sendero luminoso (:センデロルミノソ)やMRTAみたいな
    テロリスト集団の頭。
全然ヒーローなんかじゃないのである。

 「天草四郎の生まれ変わり」を自称しているタレントが居るようである。
 ご年齢から推察するに、学校では、「天草四郎」について、虚構世界的ヒーロー像だけを教えられた世代のかたであろうと思う。

 この御仁とは別に、すぐに威し文句を吐きつけるイカサマ占い師が居る。
 多くのタレント達が、このイカサマ恫喝デブババアのことを、腫れ物に触るように扱うのに対し、自称「天草四郎の生まれ変わり」さんは、このイカサマデブババアをはっきりと批判していて、それについては、見ていてとても気持ちよくて、大変好感がもてるのだが、だからといって、この御仁の、「天草四郎の生まれ変わり」と称しているのは、かなりまずいと思う。

 また、この御仁の「相棒」みたいな人で、「オーラ」とかいうものが見える、といっている人が居る。
 さきほどのイカサマデブババアが始終やたらと脅しの文句を口にするのに対し、彼は落ち着いた話し方をするので、一見まっとうっぽくみえてしまうが、彼は、某有名タレントの、未だ生きている父を「霊視」したりする御仁である。


 どうせ、すくなくとも現時点では、心の病気を持つ人たちに対して、 医者や心理学者が出来ることは とても不十分で、一方、悩んでいる人達自身に対し 現実にその苦しみを低減させるような行為が出来る人が、実際に居るならば、その正体はどうあれ、まぁ、放置すればよいし、その人が、恫喝などの下品な手段を使わないのであれば、さらによし。
 昔は、オカマは酷く迫害されたので、この苦しさから逃れる現実逃避のために、妄想世界を脳内創造してその中に逃げ込んだのであろうか。
 天草四郎だと、若くて死んだし、親類縁者も皆んな死んだので、出鱈目言っても正体がばれないと踏んでいたのだろうが、どっこい、歴史学者達が地道に古文書を見つけ出して、「天草四郎」こと益田四郎時貞の正体をばらしているのである。


 一般論としては、心の病気を抱えている人たちに対し tranquilizer の効能を持つ intangible placebo を提供する仕事は、法外な報酬を取るのでなければ、あって良いと私は思うのだが、鍍金が剥がれて地金が見えているのがみつかってはいけない。


江原啓之

スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏の「オーラの泉」に 女優・檀れいが出演。

番組内で江原氏は檀れいの亡くなった父を「霊視」。

「お父さんは『宝塚音楽学校受験』を理解し、見守っていた」と話した。

しかし、この亡くなった父とは母と再婚した相手で檀の学生時代のことは知らない。

実際、檀の実父は今も生きていて、檀が宝塚に入学した頃まで一緒に暮らしていた。

江原氏はいったい誰を「霊視」していたのか・・・檀の地元の住人や友人らから疑問が噴出している。

檀れいは番組出演時に父親を亡くしていると冒頭で語っており、話が進む中で、江原啓之は亡くなった父親が宝塚音楽学校の受験を「(天国から)寡黙に見守っていた」と発言。

江原啓之を通じて「亡き父から愛の言葉が届く」という流れで番組は進行していったなりね。

ところが。実は、檀れいが番組冒頭で語っていた「亡くなった父親」は、母親の再婚相手(義理の父)のことで、本当の父親は今も健在。

そして宝塚音楽学校を受験した時点ではまだ両親は離婚しておらず、「父親」にあたるのは「本当の父親」しか該当しないというなりよ。つまり、「亡き父」(=義理の父)が「宝塚受験のエピソード」を語れるわけがない、と。

「週刊文春」は檀れいの出身地である兵庫県美方郡新温泉町まで飛び、地元で取材を敢行。

「『死んだ父親』を霊視しているのでびっくりしました。

檀さんのお父さんは、元気にこの町で生活していますよ」(高校の同級生)、「お父さんが亡くなったと言われていたことを人伝てに聞いて、びっくりしました。

近所からは『あら、お父さんが殺されちゃってるわ』と言われています」(檀れいの祖母)との証言を得ているなりね。

また、2人の父親は性格も生き様も全く異なるタイプの人物像であることから、江原啓之の霊視を檀れいが混同するはずがないため、檀れい本人にも取材を実施。

でも、檀れい自身は「涙が止まらない状態だったので細かい部分は覚えていないんです」

「(オーラの泉は)ゲストがどういう風にキャッチして、自分の糧として歩んで行こうかなというものだから、周りがガタガタいうことでもないと思うんです」と、全く問題視していないよう。