江戸時代、長崎の出島に在ったオランダ商館の商館長は
(甲比丹、甲必丹、加比旦)
と呼ばれていた。
オランダの東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者である。
今で言う、「日本支社長」「長崎営業所長」辺りである。
東インド会社:Vereenigde Oostindische Compagnie
the Dutch East India Company
元はポルトガル語の
"Capitão" (「カピタン」)
で、これは、
英語の "Captain" (「キャプテン」)、
仏語の "Capitaine" (「カピテーヌ」)、
伊語の "Capitano" (「カピターノ」)、
西語の "Capitán" (「カピタン」)、
露語の "Капітан" (「カピターン」)
これらはどれも、
「(集団の)長」、「代表」、「リーダー」、「キャプテン」
を意味する語で、その語源は、「頭」「頂点」を意味するラテン語
"caput" 複数形は "capita"
に由来する。
英語仏語等幾つかの ヨーロッパ語共通の表現である、
"per capita" ( 意味は、「一人あたり」 )
( 例えば "GDP per capita" は、「一人あたりGDP」 )
も、これと語源を同じくするものである。
日本は初めにポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始した為、
貿易相手国の日本における拠点(商館)の長を、
ポルトガル語の "Capitão"(「カピタン」)で呼ぶようになった。
その後、帝国主義的拡大布教体質のカソリックと一体となっているポルトガルに代わり
宗教と貿易を分けて考えるオランダが南蛮貿易の主役になったが、
この呼び名は変わらなかった。
本来オランダ語では商館長のことを
"Opperhoofd"(「オッペルホーフト」)
(複数形は "Opperhoofden" )
と呼ぶが、日本では使われなかった。
オランダは長年スペインの支配下にあって、
(正確には、オランダは、15世紀末からハプスブルク家のスペイン領土として植民地化されていた。
1568年にオランダ独立戦争勃発。1648年のウェストファリア条約(Westfälischer Friede)で独立。)
この「(集団の)長」を意味する語は、スペイン語では、
"Capitán"
で、発音はやはり「カピタン」だから、オランダ人たちにとっても、
この語は全然違和感のない言葉であったのだろう。
或いは、もしかしたら、
例えば、
正式名称:「零式艦上戦闘機」(れいしきかんじょうせんとうき)
のことを、日本人も、「ゼロ戦」と呼ぶように、
"Opperhoofd" のことをオランダ人も、「カピタン」と呼んでいた
のかもしれない。
或る者 は "Capitán" (西語)のつもりで、
又或る者は "Capitão" (葡語) のつもりで。