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幸福探求における一つの議論

幸せに生きるために何ができるか色んな本を読んで考えたことを伝えたいと思います。ぜひあなたの考えも教えてください。

皆さんこんばんは。digidonです。

2日続けての更新となりました。今後、どの程度で更新できるかはわかりませんが、最も幸せな生き方とは?という議論を深めていけるようにできる限り、色んな議論の起点を提供していきたいと考えています。

 

さて、昨日は、

松村 嘉浩 著

『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?―――日本人が知らない本当の世界経済の授業』を紹介し、乱暴な結論だけを記載しましたが、私が「日本の経済は十分に成長し、成長の速度は鈍化したのに、もっと金銭的に豊かでなければいけないという妄想にとらわれた一部の既得権益に洗脳されているからだ」という少々過激な結論にたどり着いたもう一つの重要な本をご紹介します。それが、

 

苫米地 英人著

『現代洗脳のカラクリ ~洗脳社会からの覚醒と新洗脳技術の応用』です。
 

私は苫米地先生のロジック非常に共感していまして、これまでも何冊か拝見していますが、これを読んだときになんというか、これまで感じてきた矛盾点について非常に合点がいったように感じたのです。

 

私が感じていた矛盾点とは

 

.就職活動では、企業の事業内容を見て就職先を決めるのに、実際に入社してみると現場仕事ではなくプロジェクト運営の仕事であること。

 

に集約されます。

 

今の会社から内定をもらった時には、これから私も一社会人として、社会に何かアウトプットを提供する事で社会の一員としての貢献ができるのだと希望を抱いていました。私の場合は理系でしたので、工場で働いて、製品を、たとえ大量消費されるようなものでないとしても、それによって社会が円滑に進むためのアウトプットを提供できる立場になるのだとそんなことを思っていました。

しかし、実際に働いてみると、なんだか様子が違うのです。私が担当する仕事はどれも、プロジェクトの必要性やプロジェクトの進め方をひたすら上司に説明する仕事ばかり、私の中で果たしてこれは仕事なのか?という思いがもたげてきます。

最初はこれもものを生み出すプロジェクトの一環なのだから当然仕事だと思っていました。皆こうやって仕事をしていて社内で必要な資料を作って役に立っているのだからこれでいいのだ、誰も万能ではないから得意分野を出し合って協力しあうことで、仕事を円滑に進めることができるのだからこれでいいのだ。とそう思っていました。

ただ、この考えにもう一歩踏み込んだ時に自分があまりに無力であることに気づくのです。理系で大学院まででて就職した私はなぜ現場にいないのだろう?現場こそが職場であるはずではないのか?果たして、今、自分が関わっている現場でトラブルが起きたときに私が一人だったら何ができるだろう?その時私はあいつが現場にいてくれたから助かったと言われる人材になれているのだろうか?と。

 

そんなときに苫米地先生の本は私に「全ての仕事が資本主義の中にある以上は拝金主義の洗脳から逃れることはできない」と教えてくれたように思います。今回紹介した本は、拝金主義という現代洗脳の裏にアメリカやイギリスの大銀行が作り出した拝金主義と疑うこともなく拝金主義に協力する日本政府そして拝金主義を批判するではなく宣伝する現代メディアの関係にスポットを当てています。苫米地先生がこれまで何度も言及されている拝金主義批判と洗脳の関連について改めて説明され、これこそ私の違和感の正体なのだと思いました。

 

毎日ひたすら机に向かって残業までしているのに、なぜ仕事が終わらないのだろうという疑問。しんどいけれどもこれが仕事さと仲間で支えあっているけれど一番大切なはずの達成感が得られない虚しさ。しんどさのピークを抜けて振り返ったときの評価が妥当かどうか説明がつかないもどかしさ。私はこれ全てが拝金主義を前提に会社システムができていることが原因だと考えています。

 

例えば以下のような問題についてどのように思われるでしょうか?

・投資家目線の経営がある以上、給料を上げるインセンティブが働かない(昨今の賃上げは官製ベースアップといわれるように政治的配慮として給料を上げているもの)

・日本経済は元気なのに景気が悪いような雰囲気が漂っている(上記の通り、賃上げは可能なだけの売り上げはあるのに、もっと豊かでなければとさらなる成長を追い求め多くの犠牲を払っている)

豊かでなければ本当に生きていけないのでしょうか?日本は世界第3位の経済国で居続けなければ滅んでしまうのでしょうか?人口は増え続けないといけないのでしょうか?拝金主義を継続する限り、こういった問題に全てYesと答え、これ以上成長が望めない分野であっても成長していると見せかける必要が生じ、日経平均を高止まりさせるために国費を投入して投資家だけが設ける世の中になり、労働者には過剰なサービス要求が継続していくことになります。

 

この状況で格差是正などあり得るでしょうか?家族と幸せに過ごすことができるでしょうか?私は無理だと感じています。ただ、私の結論に資本主義をぶっ壊せとは書いていないように、決して今のシステムを丸ごと捨ててしまえと言っているのではありません。もっと、中くらいの経済大国であること(拝金主義)を捨てる道があるのではないか?という意見です。皆さんのご意見はどうでしょうか?