幸福探求における一つの議論

幸福探求における一つの議論

幸せに生きるために何ができるか色んな本を読んで考えたことを伝えたいと思います。ぜひあなたの考えも教えてください。

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こんばんはdigidonです。

さてさて、仏教の話を始めて、3回目になりますが、ここ数日、仏教において大切な教えは何だろう?という問いに対して答えが見つからない日々を過ごしています。

 

前回のブログでは、生きるとは苦しいことだと知ることで、気が楽になると書きました。このことは、先日紹介した『ブッタとシッタカブッタ』の中でも、「雨が降っているときに雨を止めようとする人はいない。外に出るのをやめるか、どうしても外に出る必要があるときは傘をさして対策をして出かけるのです。人間の心の揺らめき(苦しみ、怒り)もこれと同じで、怒っていると思った時には、怒りを鎮めようとするのではなく、自分は今怒りの中にいるのだと冷静に見つめることが大切」というような趣旨で書かれています。

 

苦しい時にはどうしても、苦しみを消そうと衝動的な行動を起こしてしまうことがあります。それが八つ当たりの人もいれば、お酒や衝動買いなどに走る人もいるでしょう。私の場合もお酒でしたかね。

 

今でこそ、不飲酒(ふおんじゅ)という仏教の戒律に従ってお酒をやめましたが、昔はイライラするととにかくお酒を飲んでいたように思います。仏教でお酒をやめなさいと教えるのは、どうしても心の制御ができなくなるからなのだと何かの本で読んだことがあります。

 

仏教では、身を亡ぼすような行いを貪瞋痴と呼びます。

貪:トン。むさぼること

瞋:ジン。いかること(心を揺り動かすこと。怒りだけでなく喜びも含まれる)

痴:チ。仏教的に無知であること。

をまとめて三毒と言います。私が以外に感じたのは、瞋の中に喜びも含まれていることでした。今日は嬉しいことがあったからいい日、今日はイライラすることがあったから悪い日。そんな風に生きていては、いつも心が揺れ動いて苦しいままなのだから、いいことも悪いことも只の事実、現象と思って淡々と受け入れなさいというのが、仏教の教えです。

 

これ、非常に難しいです。私もいまだにイライラしてしまう日があります。でもそんな時こそ、今イライラしていると自分に言い聞かせてこれ以上心が怒りの方に行かないように、嫌いな人に近づかない、楽しいことを思い出す。なんてことをしています。これも対処療法的で本質的な解決には至らないですが、どうか、イライラして仕方ないというとき試してみてほしいと思います。怒りに任せるよりも冷静に解決策を模索できることが多くなると思います。