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幸福探求における一つの議論

幸せに生きるために何ができるか色んな本を読んで考えたことを伝えたいと思います。ぜひあなたの考えも教えてください。

皆さんこんばんは、digidonです。

皆さんと一緒に幸せな生き方とは何か?ということに関しての議論をしたいと思って、始めたこのブログですが、今回もまた、ビジネス関係の本となります。

もう少し、働くことから離れた内容はまた今度にしたいと思います。「そもそも幸せとは何か?」と問えばやはりそこは「自分で決めるもの」という禅問答のような世界に入ってしまいますし、「自分が楽しいと思う時間が幸せ」と楽観的に定義してしまっては、楽しいと思う瞬間がないと苦しんでいる人たちをいたずらに傷つける結果になりますので、ここはまた別の機会にゆっくりやりたいと思います。

 

さて、ということで今日も私が読んだ本から、1冊ご紹介したいと思います。

樋口晴彦著

『不祥事は財産だ』

です。樋口先生は企業不祥事について数多くの著書を残されていて、不祥事発生の経緯から背後要因の分析まで、会社組織にいる人間にとって何よりも大切な「傾向と対策」を教えてくれます。今回取り上げた本でももちろん、「マニュアルどおりの危険性」や「空洞化したコンプライアンス」などの言葉が目次に並び、どこの企業でも発生を懸念して対策をしているであろうことについての実例が紹介されています。

 

この本で私が最も印象に残っているのは「独立行政法人労働政策研究・研修機構(2004)は、米国においても成果主義が実践されている業界はウォール街の金融機関など一部に限られていると指摘している。(『不祥事は財産だ』より引用)」の一文でした。私の中では、「成果主義こそ頑張った労働者に賃金で報いる方法である」ともてはやされていて世界中どこでも成果主義を採用しているとの認識だったからです。でも本当の世の中は違っていて、成果主義は成果を出すことにだけに労働者の意識が向かい、リスクを回避する、マイナスの成果を隠す又はごまかすインセンティブを生むものであるとむしろネガティブな捉え方をされているようなのです。私も試しに独立行政法人労働政策研究・研修機構のWebサイトにアクセスし、「成果主義」で検索をしてみましたが、確かにそこには成果主義の問題点が多く指摘されていました。

 

ウォール街等の金融業界では、いくらの投資でいくら回収したという具合に成果を図りやすいところはあるのでしょう。それでは、金融関係以外で考えたとき成果主義とはどのように判断されるのでしょう?営業職はノルマを達成したかどうかという指標はわかりやすいかもしれません、しかし、そこに至るまでのプロセスや周辺業務の成果はどう評価されるのでしょう?残業時間が少なくノルマを達成した人と沢山残業をしてノルマを達成した人は同じ評価でいいのでしょうか?工場に勤めている場合、問題解決に多くの労力を払ったことは評価の対象になるでしょう、それでは問題が発生しないように払った労力はどうやって評価するのでしょう?これはおそらく『バカの壁』で養老先生もおっしゃていたように「病気を予防した医者は名医とは呼ばれない」というのと同じジレンマがあるのではないでしょうか?

 

この成果主義について本書の中では、多くの企業がバブル期の人件費削減の手段として導入したと述べています。果たして、成果主義とは誰を幸せにしたのでしょう?成果主義と言えば聞こえはいいですが、成果が何かの議論はすべての業界で尽くされているのでしょうか?労働者の『成果』と雇用主の『成果』は一致しているのでしょうか?

 

ただし、樋口先生が本書で言及されているように、不祥事が発生するときに悪意がある人は多くはないと私も思います。已むに已まれず経費削減のため成果主義を採用した雇用主がいて、已むに已まれず成果のために不祥事に手を出してしまった労働者がいた。おそらくどちらも善意の人なのです。ただ、その善は誰に対する善でしょうか?会社が潰れてしまったら社員の生活も危ういから経費削減のため已むに已まれず成果主義の採用だったのでしょうか?あるいは投資家が経費削減しないと馘を切るといったから已むに已まれず成果主義を採用したのでしょうか?

 

私が本書で学んだことは「多くの人は善の人である。ただし、その善の方向が間違っていては結局悪(不祥事)になってしまう」というものです。自分の私腹を肥やすために不祥事を出したいと思っている人は少ないはずです。背景に何か原因がある。その原因がまさか「お金」だったとき、不祥事という結末はあまりに悲しいとは思いませんか?