こんばんは、digidonです。
前回の更新から日が経ってしまいましたが、今日は仏教ではとても大切な怒りを鎮めることについて紹介したいと思います。
皆さん怒りというとどんな状況が思い浮かぶでしょうか?
やはり、理不尽なことが起きたら怒りますし、腹の虫の居所が悪いときには通りすがりの人と肩が触れるのですら怒りのもとになってしまいます。
私も昔は何にでも怒り散らしていたように記憶しています。やれ、仕事が忙しいのに飲み会の幹事が多いと怒ってみたり、私は一生懸命働いているのに、なぜ同僚のあいつはのうのうと休んでいるんだと怒ってみたり、それはそれは大変な怒り様だったように思い出します。
怒っている時というのは、私の場合は概して「自分は正しいのに周りが間違っている」という思いに駆られていることが多かったように思います。私は忙しいんだから飲み会の幹事位暇な奴に振るべきだ、それができない上司はマネジメントができないんだから暇な社員ともども辞めてしまえ、なんてもっともらしいロジックまでこしらえて他人の批判に余念がなかったのが数年前の私です。こんな状態で幸せになんてなれる訳もなく、何をするにもピリピリしていました。
こんな状態のとき、今の私なら「生きるとは苦しいことと知りなさい」とアドバイスすると思います。仏教では生きるとは一つの苦しみから異なる苦しみへ移行することであると教えます。
空腹が苦しいから食事をするけれども、食べ続ければどこかで満腹で苦しくなります。睡眠をとれないことは苦しいけれども、何もしないでずっと寝続ければいつか苦しくなります。仕事だって忙しすぎると苦しいけれど暇すぎるとそれはそれとして苦しいものです。
ただ、この教えでは、今の苦しみを耐えろという話にしかならず、一時的に、忙しさを納得させるだけで本質的な解決には至りません。この先の幸せになる思考については、また後日。