かなりお久しぶりに、親族の集まりがありました。
実は、去年の冬におばあちゃんが亡くなりました。
家族、親戚、みんなにとって、とっても悲しい出来事でした・・・。
怪我がきっかけでどんどん弱っていく姿も見ていましたが、病気でもなかったし、コロナというわけでもないし、大往生だったと思います。
しばらくして、私自身は声を2週間失うひどい気管支炎になり、お葬式にも参加することができなかったのです。
あんなにいっぱいお世話になったおばあちゃん。
私自身の日本の祖母は16年ほど前にもうなくなっていましたから、スイスの元気なおばあちゃんと過ごす時間はとても貴重でした。
義母、おばあちゃん、私が同じ誕生月なので、誕生日には一緒にご飯を食べに行ったり。
クリスマスや子供の誕生日などのイベントごとも一緒に過ごしました。
もちろん、親戚の集まりとなれば、そこで顔を合わしたり、いとこよりも顔を合わせていたと思います。
だから、もう会えないのかと思うと、何だかポッカリ穴が空いたような感覚が、まだ付き合いが10年にしかならない私にもありました。
いつも座っていた席にいないことも、もう会えないんだなぁとしみじみ考えてしまいます。
今回の親族の集まりも、生前におばあちゃんが計画していたものでした。
そのために、パートナーの叔父夫婦にお金も預けていたんだそうです。
みんなにこんな機会を設けてくれて、いつも親族の中心でみんなから愛され慕われていた人は、私の周りにはいません。
今は、わたしがスイスに来て数年後になくなったおじいちゃんと一緒に眠っています。
その遺灰壺を、今回は親戚一同で埋めに行ったのです。
お葬式は参加できなかったけど、最後にお別れができて、ありがとうの気持ちを伝えられてよかった、そんな気持ちです。
こんな時でもないと、亡くなった後の話ってあまりしないですが、義父から聞いて驚いたことがあります。
余談ですが、この遺灰壺は、kompostierbar なんだそうです。
つまり、自然に還るということですね!
こんな話は初めて聞いたので、驚きました。
人間、やはり自然に還るのが一番良いと義父は考えるようです。
すると、日本は、納骨の時はどうしてるんだろうと疑問も出てきました。
骨壷のまま?
それとも中から出して中に納めて、土に還っていく?
実家の親に聞いてみようと思います。
それと、スイスは日本と違って、お墓を定期的に訪問するという習慣がありませんね。
亡くなった日=命日を意識して、月命日にお墓参りしている私の実家家族とは、全く違うなと感じます。
ただ、こちらのスイスの家族で、おじいちゃんが亡くなったあと、おばあちゃん主催で、おじいちゃんを偲ぶ会が亡くなった月に近いところで開催されていたので、集まって故人を想おうという週間はあるのだなと新しい発見でした。
とはいえ、全く湿ったらしいものではなく、みんなで集まってワイワイご飯を食べるんですけどね。
日本とスイス、全く違う文化の中ですが、故人を偲ぶ1日を穏やかに過ごしました。
ありがとう。
出かけたレストランの食事↓
よくあるメニューですけど、とっても美味しかったです。
スープ、サラダから始まってデザートまで。
動けない、動きたくないほど満腹になったのは、久しぶりでした。

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