自分の中でも一番嫌いな感情。
一番捨てたい、手放したい。
何かを見聞きしたとき、その「あるもの」そのものではなく「その状態、状況」が輝いて見えて、そうでない自分に何かが欠けていると実感するという、そんな、感じ。
物質主義的なものを羨ましく思うことは、ほぼない私です。
例えば、立派な家、素敵な家具、高級車、見栄えのする洋服、○○に旅行に行ってきた、だとか、そんなものにこだわりはあまりないので、自分の満足する範囲で手に入ればオーケー。
「へぇ、いいなぁ〜。」と言ったりするけれど、羨ましいわけではない。
単に、その人の話を聞くのが楽しいだけだから。
言ってしまえば、興味のない人の話だったら、聞きたいとも思わないわけで。
そういう点では、子供ができる前までは誰かが妊娠したというニュースを聞くたび、とてもナーバスになって気持ちが揺れ動き、羨ましく思ったりしていたな。
子供って簡単にできる人もいるけど、頑張ったってできるもんじゃないし、努力が報われて望んだら必ず手に入るものじゃない。
そういう形のないもの、努力とは関係のないところで、自分が欲しいと願っていたものを持っている人の場面を目撃すると、ちょい落ち込む傾向にあります。
人はそれを「運」と呼んだりもするのかもしれない。
誰が言うねん、て感じやけど、もしかしたら私だって誰かの羨望や妬み嫉みの対象になっているのかもしれないし、他人と自分を比べて今の自分を評価するポイントが何なのか、それは人それぞれ。
不毛だから、他人と自分を比べるって本当はしたくないけど、でも人間だものね。
時に、自分と空高く飛ぶ鳥を比べて「あんな風に日本に飛んで行けたら」なんて思うこともあるけれど(←日本に飛んで帰りたい)
物質的なものより精神的なものをその対象にすることが多い私だけれども、どこか満たされないところがあるから、そう感じるのだろうか。
自分がもっと精神的な豊かになれば、そんなことは思わなくなるのだろうか。
いや。
自分にはその「何か」が欠けていることが、そんなに嫌なのか?と問うてみると、実は違うことに気がつきます。
実は、自分の中にそれはもう既にあるんです。
そして、何をゴールにしたいのかも、割と決まっていたりします。
きっと一つ一つをクリアすることで、また次が見えてくるのでしょう。
日々の雑用に駆られて忘れてしまうことも多いんですが、そんな時は落ち着いてコーヒーでも飲みつつ、記憶の奥から引っ張ってきます。
今すぐは出来なくても、時期がきたら取り掛かれるように。
フランスだったかな、海外在住者ブログで、未来の海外移住者へのメッセージを書いている方がいました。
相手(パートナーや彼氏のこと)ではなく、自分のペースでゆっくり進めていくこと。
という内容でしたが、その通りと思います。
日本だろうがスイスだろうが、同じスタンスで生きていけたら、それは一番いいことなのだろうと思いますが、私の場合はそうではありません。
言葉の障壁も、人との距離の取り方も、暮らす環境もあまりに違うし、ハッキリ言って簡単じゃないわ。
でも、後悔だけはしたくない。
そう思ったのでした。

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時間は有限だもの。
もったいない。