近々、友人夫婦の子供の洗礼の日に参加する予定です。
というのも、パートナーがその子供たちのゴッドファーザーになったからです・・・。
こういうイベントは面倒なので、ちょっとすっ飛ばしたい気持ちなんですが、義理の両親も行くしそうも行かないようでして・・・
どうなることやら。
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これは仕方がない。
特段早急に誰にも要求されていない・・・こうなるとますますやる気がおきません。
でも、自分のドイツ語を何とかしなければ、と真剣に思っています。
私の人生のパートナーはスイス人です。
そのパートナーが日本語を勉強しないのだから、円滑なコミュニーケーション、もちろん生活のためにも、私が学ぶ必要がある。
私は思うんですが、何というか
もともとお喋りな人は、違う言葉でもお喋り
という圧倒的な事実。
もちろん、ある程度話せるようになってからですが、初級の頃からその片鱗を見せるでしょう。
喋りたくて仕方ないのだから、嫌でも上達します。
逆に、母国語でも喋るのが苦手な人は、外国語だからといって開花するものでもありません。
まぁ、日本語は言語自体が謙虚さを備えているのもあり、外国語を話すことで図々しさはパワーアップしそうですが。
話がそれました。
でも、私はもう根っからの喋り好きなタイプじゃなく、ブレーキが自然にかかってるのを感じる。
気分は団体における自分を意識しだした小学高学年のようです。
喋るのは好きだし、求められればずっと喋っていることもできる。
何なら、大人しくしていたら体調が悪いと思われた若い時もあった。
でも、もう面倒くさいのか何なのか、口数も減ってきて、最近は仕事で疲れたおじさんです。
しかも年齢とともに協調性も磨かれてか、押しも弱くなり、
押し気味な外国人を相手にすると、確実に負けている私がいます。
勉強したから、理解力とある程度のスピーキング力はある。
3時間半ぶっ通しでドイツ語を聞き、内容を理解して、グループ活動にも参加し、ネイティブと意見を交わすなんて、スイスに来た時には考えられなかったことです。
でも、こういう機会があるとさらに、「まだまだだな・・・」と感じざるを得ません。
ここはスイス。
人生のパートナーはスイス人。
周りにもスイス人、またはドイツ人、ドイツ語を話す外国人・・・
こんな状況で、ドイツ語をさらに磨かない選択肢がありません。

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もう一度、同志が欲しい。