突然ですが、タイトルのことわざ。
ドイツ語では・・・
Reden ist Silber,
Schweigen ist Gold.
「雄弁は銀、沈黙は金」ということわざは、もともとイギリス人評論家の書物から来ている言葉みたいですね。
「沈黙は金」の部分ばかりが強調される日本で、とにかく「黙っていれば良い」のようなニュアンスで取られることも多いように思いますが、実はこの、「雄弁は銀」の部分がとても重要なのだ、と思うんです。
実は今、改善したい状況があります。
日曜日、義両親とのブランチでその話をしたら、
しかるべき場所で、しかるべき人物に、その場に適切な言葉を使って、きちんと話をした方が良い
とアドバイスをもらいました。
やっぱりスイスはヨーロッパで、日本人のように、「とにかくそのままにして事態が好転するまで辛抱強く待つ」、「待てば海路の日和あり」のような感覚はないのだろうか。
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しかしこれ、人間関係にも当てはまります。
「沈黙は金なり」の部分にではなく、「雄弁は銀」の部分にフォーカスすると、雄弁があってこそ効果が発揮される、沈黙の価値。
ヨーロッパでよくあるのが、会話の末に1つの結論に達しなくてもいい、という考え方。
無理に相手を納得させよう、説得しよう、ではなく、自分の意見はきちんと言った、それを相手がどう取るかは、あまり気にしないという結論。
意見の相違を恐れない、ヨーロッパ人。
「何だそれ」と私は思うんですけど。
私はどちらかというと、1つの結論に達したくなってしまうからです。
それに、日本はどちらかというと、個人の意見よりも団体としての一致団結を良しとする。
それゆえ、KYなどという言葉も生まれた。
日本にもスイスにも、いわゆるKYな人間はいるけれど、KYなどという言葉でその場にそぐわないものを排除しようとする感覚は日本にしかない。
性質の違うものを受け入れないのは、日本の方が強い。
話がそれてしまったけれど、そもそも、違う個が集まって、1つにまとまるなんて、不可能な話ですもんね。
私は自分と似た人間だけで集まりたいとは思わない。いろんな意見を持つ人と接していたいけれど、得てしてそれが「意見の押し問答」になってしまう事がある。
だから、このヨーロッパ人の、意見の相違や結果をおそれず、自己主張ができる部分を、私は気に入っている。
雄弁は銀。
対立意見に怯むことなく、
押し付けでもなく、
適切な言葉で、
引き際を、わきまえて。
まだヨーロッパ式コミュニケーションに慣れないかとも多いんですが、単に喋りすぎ、語らなすぎの話ではなく、打たれ強いメンタルと、冷静な判断力を身に付けたい。

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日本を出たことで、いろんな人に巡り会う機会を得ました。
人に影響を及ぼすのもまた、人。
付き合い方を学ぶ日々です。