人と話していて思ったことを、今の気持ちとして、書いておきたいと思います。
人と真面目な話をすると、自分の気持ちも振り返るきっかけになりますね。
だいぶ、考え方が変わったなぁと、自分でも思います。客観的に7年前の自分を他人として見ることが出来るなら、別人のよう。
現実を受け入れつつ、その場に適応させる。
大らかになったのか、ズボラになったのか。その捉え方も、自分次第(笑)
----*----*----*----*----*----*----*----*
スイスに来た時、私には何もなかった。
家族も、友達も、仕事も、自分のやるべき事も、まさに文字通りの、何もなし。
海外生活に憧れていた気持ちが無かったとは言わないけれど、それは、「いつか会社を通じて、世界の支店に・・・」なんて夢焦がれていただけで、現実味は一切ない話だった。
けれど、想像もしなかった縁に恵まれ、スイスに来るにことになり、もちろん仕事もやめてきた。
こちらに来てからは順調に物事が進んで、結婚もしたけれど、来た当時に思い描いていた形には、なったようで、なっていない。
思い描いていたのは、日本と同じような生活をすること。
自分が自信を持って楽しく取り組める仕事をフルでして、休みの日には友人と出かけたり、時には1人、時には家族で旅行もしたり、という生活。
典型的な若者の独身生活だったと思う。
当初の想像と比べて足りないのはほぼ、フルで仕事をしていないことのみ、となりました。
今現在、不満はないし、むしろ、満たされている。
来たばかりの頃は日本人とのつながりも、とてもとても少なかったけれど、少しずつ増えて、楽しい時間を一緒に過ごすことができる関係が増えた。
「海外生活、日本人とはあまり関わりたくない」と言う人もいるけれど、私は語学を勉強しに来ているのではないので、そうは思わない。
同じ国から来たもの同士、共有できる部分は多い。
----*----*----*----*----*----*----*----*
仕事については、はっきり言って、考えたようには、行かなかった。ドイツ語ができない状態で、英語もそんな・・・の状態では、日本と同じとは行かなかった。
あー、落ち込んだなー・・・あの時の気持ち、思い出すとつらい。(遠い目)
先日、聞かれたんです。
「もし、機会があれば、日本でやっていたような仕事がしたいか」と。
7年前なら、前のめり1,000%でイエスと答えていたけれど、2〜3年ほど前から、私の中のキャリア志向が、姿を消し始めた。
それは、ドイツ語に自信が持てるようになって始めた就活で、現実を見たから、と言えるのかもしれない。
いや、実は、就活も満足にしていないから、 (何百件も応募したわけじゃない、という意味 )、そんなこと、言う資格もない。
自分自身のストレス耐性や、語学能力、総合的な面から判断して、本当に優秀な人に比べたら、アピールできるものなんて、何もない。謙遜じゃなく、いたって自分は普通の人間だから。
----*----*----*----*----*----*----*----*
そして、いつからか、家族をもつ家庭人としての幸せがあると、知るようになった。
これは100%、パートナーのおかげ。
こんな人生の形があることを、自分優位な独身生活では、味わったことがなかった。
最近、サボり気味で、家事も何もしてないけれど、ふとした瞬間に感じる小さな幸せが、いつのまにか、自分の中の大部分を占めるようになっていた。
海外で、私が想像していたような形でバリバリ仕事をしている人を、私は尊敬するけれど、だからといって、そうでない人がどうこうとも、思わない。
仕事を持つ人と専業主婦をジャッジなんてできない。
家事や、パートナーを支えることも、立派な家庭内の仕事だと私は思っているし、家庭内のバランスの取り方や、何を良しとするかは人によってそれぞれなので、優劣はつけられない。
どこかに偏れば、どこかが疎かになる。
身体は1つ、時間は皆、平等なので、それだけは、共通している。
パートナーから、いろんな意味での圧力やプレッシャーを受けて、言葉にできない気持ちを抱えた事もあったけれど、今はお互いに大人になったのか、お互いの元を去ることがないと分かり、関係が強固になったからなのか、お互いを無条件に信頼しているからなのか、良いバランスが保たれている。
それは、こちらの家族のサポートや、私の日本の家族のサポートや、私たちを取り囲む友人たち、いろんな人に支えられて、自分は生きていることへの感謝が基本にある。
自分が満足に行く形であるなら、それでいい。自分の人生、何が大切かの価値感は、自分で決める。そして、その時々で、やりたいことを探せばいいし、私自身もようやく、やりたいことが視野に入ってきて、前進した気がしている。
現段階では、ぼやいて、出来ない理由をあげるのは、やめにしたい。
「ドイツ語ができない」という言葉を、勉強もしていない人が言うと違和感があるのと同じ。だから私は、「私はドイツ語ができません」なんて、言いたくない。それをすると、お金も時間もかけてもらったパートナーに、立てる顔がない。
努力やチャレンジもしていないのに、「私は・・・」なんて悲劇のヒロインぶっても、何も始まらない。
努力をしているからこそ、口にして良い言葉がある。
そうやって、その時々の課題をかして、目標を設定する。このあたりは、自分に厳しくありたい。
これから先、どう転ぶかはまた未知数の話。
うまく行く時も、そうでない時も、その都度考えながら、その時点での理想の形を目指すようにすれば良いし、自分というものをしっかり持っていれば、人もついてきてくれる (と私は信じている)。
自分もそういう人でありたいし、そういう人に、自分の周りにはいて欲しいと、思う。
スイス人と一緒になって良かったと思うところに、「気持ちの表し方」がある。
ふとした瞬間に伝えてくれる言葉で、自分の存在意義を確認できる。
発言の意図は、何故だかは分からない。
取るに足らない自分のような人間を、とても大切にしてくれる存在がいることに、胸が熱くなる。
完璧な人間なんていないけど、私はスーパーマンと一緒になったわけじゃない。
そんな不完全な部分も含めて、愛おしいと思う。
そんな相手がいることに、感謝して。

にほんブログ村
アーメン。
今日も、頑張るぞ。