朝から、昨日書きました 「Ueli Steck」 の事を想いつつ、休暇中で管理を任されている義理の両親の家から、ちゃっかりと新聞をパチってまいりました。
Sucht : 中毒ほどの、異常な欲求のこと
1面には紹介記事、1枚めくって2~3ページ目には、前面に渡って写真付きの記事が掲載されておりました。
ネットでニュースを取るよりも、やっぱりこういう紙ベースの方が読みやすいんよなぁ。
ああ、紙の匂い・・・(変態)
普段は日本語でのデジタル書籍があまり手に入らないことに嫌気がさしているのですが、たまにはこういう、直接手に紙をとる感覚も良いですね。
次回の日本への一時帰国の際には、どの小説を持ち帰ろう・・・
(などと、文学少女を気取ってみる。)
さて、一夜あけても、亡くなったアルピニストのことを考えている私です。
やっぱり、凡人には成し遂げられない偉業を達成した人というのは、ぶっとんでいながらも、私のような普通の人間にはない感覚というものがあると思う。
記事を読む限りでは、彼はどこかで「死」というのは常に隣り合わせにあると感じていた、むしろ、山でその生涯を終えることを予感していた。
そういう気がするのです。
昨日5月1日(1994年)は、F1レーサーの「アイルトン・セナ」が事故死した日でもありましたけど、通常では予想だにできない次元での心の強さが求められるこのような職業の方は、「死」というものについて心の準備をどこかでしているのではないか。
もちろん、そう望んでいるわけではないけれど、人によっては、「挑戦しないこと、それこそが死」を意味することもあるほど、その情熱を傾けられることは、実に素晴らしい。
Die Sucht nach Leben.
生きることへの欲求、人生での、狂おしいまでに欲するもの。
そういうものが、あるだろうか。
記事にはあります。
彼のような人間が望むものは、死ではなく、人生を自身の強烈に凝縮した形で発掘すること。
普通は死を意味するようなものは、何が何でも避けようとする。
しかし彼のような人間は、どこまでも生き生きと、あらゆる環境で経験することを追い続ける。
私もスケールは違うけれど、思う所はあります。
やりたいことがある人間は、それを捨ててはならない、諦めてはならない。
安西先生じゃないけど、「諦めたら、そこで終わり」というやつです。
(あれ、漫画って意外にいいこと言ってる)
情熱を傾けられることがある、ということは、とても素晴らしいことですね。
大学生の時、就活で少し迷ったことがありましたけど、「これって楽しい」「つらいけど頑張れる」というものがある人は、人生の充実度がまったく違います。
もちろん、なくても人生は進んでいくし、別にそんなの無くてもいいタイプの人もいますが、そういう「目には見えないものに価値がある」という真実が、人間の本質なのでは。
故人を想い、わが身を振り返り、今後の糧としよう。
楽しみと、苦しみと、人生いろいろ。