スイスとは全く関係ない話です。
こうしてブログを書いていると、他の人が書いたブログを読んで楽しませてもらうこともありまして。
私にとってその筆頭は、ネコなのにオフィシャルブロガーになっている、「うにの秘密基地」だったんです。
毎日朝起きたら見るのが習慣で、私は実のところ、イヌ派だったんですが、このブログの主人公、うにちゃんを見ていると、ネコもかわいいなぁ、なんて初めて思えたのでした。
飼い主の方が写真と一緒に軽快に描く口調がとても面白くて、漫画を見ているようなそんな感覚で、いつも楽しんでいました。
が、その、うにちゃん、昨日に亡くなったと報告が更新されていて、とても悲しく…
急すぎて信じられず、今日もちらちらブログを開いてしまうのですが、うにちゃんの天国での幸せを祈るとともに、飼い主さんがあまり心を痛めすぎないことを願うばかりです。
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そして、思い出すのは、自分の愛犬とのこと。
実は、私も10年前に、愛犬を亡くしました。もうすぐで16歳という、犬にとっては大往生と言えるかもしれませんが、動物病院に通うことも増え、徐々に老いていく姿を見ると、昔、一緒に全速力で走り回っていたことが思い出されて、とても悲しくなったことを、今でも鮮明に記憶しています。
亡くなった時、とある野暮用で、地元関西を離れて東京にいた私は、母からメールで連絡を受け、息を引き取ったことを知りました。
休憩時間にトイレへ行き、大泣き。
涙が底知れず、出てくるんです。
そして、その夜、自宅に戻り、冷たくなった体に触れた時、また涙が噴き出てきた。
私の愛犬は、誰にもその無くなる瞬間の顔を見せることなく、去っていきました。
母は、日々元気のない愛犬が心配で、仕事の休み時間に自宅を覗いたときに、亡くなっているのを発見。
私はその前後もずっと家で愛犬のそばにいたのに、誰も見ていないときを選らんで、この世を去った、愛しい犬(アイツ)。
その後私は、人生最初で最後のかなしばりにあうし、夢にも影として現れるし、で、ちょっとスピリチュアルな体験もしたのですが、当時、母に話すと、
「悲しみが深すぎるからでしょう」
と言われ、私もそれで納得。
けれど、思い切り泣いて、時間とともに、大事なものを喪失したことを受け入れられるようになると、今度は、天国に召され、あの世で幸せに、と願うようになりました。
そして、今でもデスクに写真を置いているし、そばにいるようです。
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ペットを亡くしたあと、「ペットロス症候群」になる人が多いと聞きます。
私も亡くしたあと、しばらくは放心状態でしたから、軽くかかっていたのかもしれません。
詳しいことは専門家にまかせるとして、感情を隠さない、思い切り悲しむ、そして、時間とともに受け入れる、というのは、私も経験した通りですが、誰もが通るステップなのでしょう。
私のまわりで、ペットを亡くしたあと、すぐにまた、新しい犬を飼っていた人がいましたね。
それは人それぞれだ、と今は思えますが、当時の私はさすがに少し、嫌悪感を覚えました。
けれど、新しいペットでその喪失感が埋まることも、事実なのでしょう。
当時、こんな思いは二度としたくない、もう二度と、犬は飼わない、と思った私は、今でも犬は、飼いたくないと思っていますが、将来、家族が欲しい、と言えば、考えるかもしれません。
私にとっては、世界でひとりの、大好きな弟のような、存在・・・
毎日見ていたブログのネコちゃんがなくなって、ふと、昔の自分と愛犬との思い出にふけった、夜でした。