言葉の壁 | スイス突撃奮闘日記☆ロードオブ移住

スイス突撃奮闘日記☆ロードオブ移住

スイス生活14年目突入。
スイス人パートナーと2019年、2022年生まれの息子達と2024年生まれの娘の5人家族。
スイスでの日常生活、
面白いこと、腹立つこと、
いろいろ日記として書いてます。


みなさま、こんにちは。
素敵なクリスマスを過ごされましたでしょうか?
こちらではクリスマスはカップルのロマンチックな日ハートではなく、家族団らん、穏やかに過ごす日です。
私はそれなりに楽しく、また、それなりにストレスフルな日々を過ごしていましたYO。

我が家のクリスマスツリーでも、載せておきましょうかね。





Google+のおまかせビジュアル写真のきらきらバージョン。
ブログ友達がやっていたり、従兄弟に実際にタブレットで見せてもらって、一回やってみたかったのです!
なんか、エエ感じ。





さてさて。
昨日の日曜日のことです。
ちょうど、義ママの親戚が3人ほどきていたので、挨拶と食事をかねて、お昼からパーティに行ってきました。


義ママはスイスの人ではなく、東欧の人です。
セルビアだかクロアチアだか、なんだかいろんな国名が出てくるので、私も聞くたびに忘れて、よく理解していないのですが、とにかく、行ったこともない、言語もよく分からない国です。
よって、その親戚が話す言葉も、私には分かるはずもありません。


しかし、義パパサイドの従兄弟が来ることになっていたので、退屈になるであろう心配は、これっぽちもしていなかったのです。
しかし、蓋を開けてみると、その従兄弟、妊娠中の彼女(クロアチアの言葉が堪能なクロアチア系ドイツ人)の体調がすぐれないという理由で、当日キャンセル!



そんな ばかなぁ~~~・・・


目には見えないけど、私の魂はこの時点でどこかへ旅立ってしまった・・・
しかし、いやいや、、待てよ。
従兄弟カップルは来なくとも、まだその兄が残っていたということを思い出し、魂を呼び戻す私。


しかし、その兄が来るまでの1時間、どれほど退屈だったか…




パートナーが通訳となり、なんだか太った陽気なおばちゃんが言います。
「あなたがクロアチアの言葉を勉強するなら、私も日本語勉強するわ♪」



日本語の勉強?
やれるもんなら、やってみろやい!
それに何で私が、そちらの言葉を勉強せなあかん?




と、よく分からない冗談に一人、いらたつ私。
「はいはい、そうですね」という適当な反応をしつつも困る私を見てのことか、義ママがすかさず、

「まずはドイツ語よね!」

とナイスフォローを入れたのですが…


そりゃそうですよ、まずは、ドイツ語ですよ。
それはそう、まぎれもなく、そうなんですけどね…

ドイツ語が上達して、他の言語を勉強する時間ができたとしてもです・・・
私はそちらの言語を勉強する気は、

ミジンコレベルも持ちあわせていない!!!!
そんな余裕は皆無!


とにかく、シャンパンを飲んで、出された前菜を食べて乗り切る私。

そして、やっとこさの兄、登場!
食事はラクレット。



その従兄弟が私に耳打ちします。



「僕達、会話から完全にはみってるね」



きっといとこは、この状況になれていはいないのでしょう。
弟カップルが来ることを予想していたようで、やはり、退屈気味。

しかし、私はですよ、もうこんな状況には慣れっこです。
だって、周りがドイツ語やスイスドイツ語を話して、会話についていけないなんてこと、日常茶飯事ですから。


半ばからもう、諦めも入っていまして、

「別に理解しなくてもいいや」

という境地です。
最初の頃は、スイス人パートナーにつらい気持ちを訴えてみたり、逐一通訳するようにお願いしたりしていましたが。
もうそんなの、やめました。
別に理解しなくても、私には害がありません。



しかし、この状況も本当に、ほんとの本当に変だと思うのです。
もう、あまりに変な状況が続きすぎて、おかしいことを、おかしいことだと思わなくなっているんです。


頭がおかしくなるのと、言葉を理解できるようになるのと、どちらがはやいでしょうか??
もしかしたら、こちらの言葉を理解できるようになる日なんて、一生来ないのかもしれません。


よくよく考えてみたら、言葉もわからないところで一生を過ごすなんて、よく決断したものです。
結婚というのは、今付き合っている相手だけではなく、その親をとりまくすべての人やものと関わっていくということなんですよね。
そのことを、イマイチよく、理解していなかったんですね、私は。


その裏返しとして、パートナーのことはやはり、手放したくない存在だということなんですけど、本当にそれだけです。
何かとこちらでは、家族で集まったりすることが多い。
家族づきあいなんて、めんどくさい。
寂しいけれど、捨ててしまいたい、そう思うときもあります。


やっとドイツ語に慣れてきた時に、昨日みたいに訳の分からない人たちとの交流があると、もう、現実に引き戻された気分になり、しばらくずーっと、ぼーっと、考えていました、これからのこと。
やはり、言葉の壁のこと。




昨日は自分の言葉が飛び交っていましたので、義ママも楽しかったのでしょう。
私に向かって、分からない言葉で話しかけてきます。

・・・!!!!


つーか、あんたはスイスドイツ語できるんやから、ドイツ語をプリーズ!
と、またイライラする私。

私、これ(分からない言葉で話されること)をされると、バカにされた気分になるんですよ。
きっと、非日常のせいで、「言語が分からない」ということに対して、妙に敏感に反応してしまうんです。



思い起こせば、私がスイスに来た頃、ドイツ語は皆無でした。
義パパは私に話しかけるとき、英語で話してくれていたなぁ、と思い出します。



この家族では、ドイツ語・スイスドイツ語・クロアチア語・英語・・・
どこかで誰かが私のような思いを、どのような形であっても体験しているんです。


ああぁ、ややこしい。



言葉の壁を再認識させられ、そして、これからの将来、自分に何ができるかを考えるきっかけとなった、日曜日の夜なのでした。