無料で配布されている雑誌の記事なのですが…
これ見た時、世も末だと思ってしまったのですが…
内容は、
孤立食堂(孤立・隔離という単語を使うなんて、どうかと思うが…)
京都大学の学食が、効率的な食事のため、高さ50センチの仕切りを設置。
気にせずに音を立てて食べられる。
なんかこの記事の内容もどうかと思うのですが、実際にネット検索してみると、同じ写真も載っていました。
こちら↓
大学側からすると、限られた座席の有効活用というのもあるらしいですね。
しかしですよ。
こんな風にわざわざお一人様用をつくる必要もないかな、と思うんですよね。
ビジネスではないのですから。
お一人様のカウンターで有名な、ラーメン屋の一欄。
私も行ったことがあるのですが、あれは理解できます。
本来の美味しさを楽しむため、周りを遮断して味に集中する、という。
まぁ、これも、外国人には理解できないようですけどね…
とにかく、学食でこんなこと、おかしいんじゃないかと、私は思うわけです。
記事の写真を見たとき、私はスイス人パートナーと同じ感想を持ちましたが、「こんなのは、コミュニケーションの遮断になる」ということです。
スイス生活も1年半を過ぎたから、外国に慣れたから思うのかもしれないけど、一緒にしゃべる友人がお互いにいないのなら、その場に居合わせた人と話せばいいのではないか、と私は思うんです。
確かに、電車の中で、たとえばカフェで、知らない人と会話をする、なんてのはあり得ない日本の社会ではありますが、学食となれば皆、同じ大学に通う学生なのですから、障壁も少ないと思うのですが…
昨年、インド人の友人と会話をしていて驚いたことがあります。
電車でふと会話をした人が、今の大切な友人の一人だと。
日本ではそんなことあり得ない、ふとニッコリ笑いかけたりなんかした、変な人だと思われる、なんて話をして、いかに日本が外国とは単純に、「違っている」かを思い知らされたものです。
この記事をくれたメキシコ人も、「これ一体何?」と言う感じです。
私も10年ほど前大学に入ったとき、初日の緊張感は今でもなんとなく覚えています。
内部進学者が多く、外部の者は友達ができにくい、なんて聞いていたのもあったので、特に、何と無く焦りみたいなのがなかったと言えば嘘になります。
こんなことでビビっていたなんて、当時の自分はウブだなぁ、なんて思います(笑)
そんなでも、中に飛び込んでみればなんとかなるもので、駅で出会った人と会話が始まり、そこから学食で一緒にご飯を食べたりサークル巡りをしたり、最初のお互いに寂しい時を過ごす、良い相手になったものです。
その後、私も一人でご飯を食べることも、いつもじゃないけど、もちろんありました。
ワイワイしている人たちを見ると、疎外感を感じたりするものです。
隣の芝生は青く見えるものですもんね。
けど、それがいったい何だと言うのでしょう。
その場だけだっていいと思うんですよね。
お一人さまになりたいのか、なりたくないのか、何を気にしているのか分からないけど、こんな風に無理やり相手との接触を妨げる「ぼっち席」には、違和感を感じてしまいます。
人の目を気にせずに食べられる、というのも分かりませんね。
声も聞こえるし、仕切りがあるのとないのと、何が違うのでしょう。
そんなところに座って、一人であることをアピールしても、何の得にもならないのでは…
卒業して会社にはいれば、誰だって1人でご飯食べるんですから(いつも一緒に行動している女子も中にはいたけれど)、予行演習でいいじゃないか、とも思います。
ほんとに、ココがへんだよ、ニッポンです。