幼い頃の記憶で

奇妙なのは、象のパレード。

当時2歳だった私は、母親に抱かれて

家から近い大きな交差点に行っていた。

私の住んでいた町に通る2つの大きな国道。

どちらも東西に平行に通っていて、

南側は産業道路の趣でトラックが目立つ道。

その北側の比較的住宅地に近い大きな交差点で

私は何十頭もの象がターバンを巻いたインド人に連れられ

東から西へと練り歩いているのだ。

この日本でだ。

後々調べてみると

大阪万博があった時に行われたパレードだったようだ。

町の中を象が何十頭も歩いてるなんて

今じゃ考えられない危険さです。


自分自身で憶えている、一番最初の記憶ってなんだろうか?

私の場合は、神社の境内で砂利道の上で初めて立って歩いた(?)

時の記憶がある。

多分、本当に最初に立った時の記憶ではないと思う。

周りには親戚が大勢いて、たって歩いた事を褒められるのだ。

誰かの結婚式のようで、そこで歩き姿のお披露目をしたので

それが赤ん坊ながら深く記憶に残ったのだろう。

人に話すとまったく信じてはもらえない。

だが、少し歩いた後、つまづいて地面に手をついたとき、

砂利が手のひらにいっぱいくっ付いた感触さえ憶えているのだ。

もしかすると、後から親にでも聞かされた話が

自分の記憶であるかのごとく脳にインプットされたのかも知れない。

結構、そんなものだろう。

そんな事で、

ちょっと子供のころからの記憶を

掘り起こして書き出していこうと思います。

ヨロシク。


メシを3食喰うという習慣が昔はなかったせいで、暴飲暴食をしても特に太るという事はなかった。
しかし最近はきっちり食事を取る生活になった為油断できない状況だ。
それよりも、困っているのは「メシを喰うとウンチがしたくなる」
ということだ。
朝、晩は別かまわない。家か店で食べているんだから心配はない。
だが、外回りの仕事をしている私は、昼食を取り、昼一番に得意先に入る頃に便意が催すのだ。しかもなぜかいつも下り気味なのだ。
一番悲惨なのは、約束の時間ギリギリでまだ車で移動中の時にこの便意が襲ってくる事だ。
下り気味のお腹は容赦無く、下腹部に激痛が走る。運転しながら片手でベルトを緩め、少しでも腹部への圧迫を抑える為にパンツの中に手を突っ込みゴムの圧力を弱めるべくパンツを引っ張った状態で運転をするのだ。それでも下腹部はグルグル活発な活動をし、「お前の人生最大の屈辱を味合わせてやろう!」と言わんばかりに我が肛門めがけて攻撃をしてくるのだ。
そんな時にかぎって信号につかまり、隣に止まったトラックの運転手はパンツに手を突っ込んで運転する私を怪訝そうに見つめるのだ。
何とか公衆便所やコンビニを見つけ、今のところ車の中でウンチをもらしシクシク泣く事態は免れているが、いつスカトロ地獄に落ちるか心配である。
ギブソンUSAのレスポールカスタムを手に入れて10年は経とうとしている。が未だに手にしっくり来ない。20年前に買った安物のストラトは、
改造に改造を重ね、フレットもいい具合に削れたので、体の一部のようになっているのだが・・・・
レスポールを大事にバードケースにしまい、なかなか手に取らないのが原因だとおもって、普段から弾くギターとして部屋に出しっぱなしにするようにした。
大分なじんできたんだが、扱いが以前ほど丁重でなくなったせいか傷だらけになってきた。
ま、いい音がでりゃそれでいいかな。
不摂生が祟り、年に1度は風邪をこじらせて寝込んでしまう。
しかし、今年はついにインフルエンザなる流行ものに
翻弄されてしまった。
原因は、職場に一人、風邪でふらふらになっていているくせに、
がんばって(いるつもりで)出社してきているやつがいたからだ。
「人にうつす前にとっとと帰れ」
といわれながらも、結局ぶっ倒れるまで帰らず
仕方なく病院に運んでやれば検査の結果
インフルエンザ陽性だと!!
その日の夕方頃からオフィス内で嫌な咳をみんなし始め、
翌朝には私もダウン。見事にインフルエンザを感染。いそがしいこの時期に2日も休む羽目になった。
会社では私も含め約10名の人間が病欠。大混乱となった模様。
根性出してがんばっているつもりでも、
ふらふらの頭じゃどうせ半分も能力出せないんだ
おまけに他人に感染させて10人も休ませやがって
会社つぶすきかー!!
やばいときは休んで早く治し、人に感染させないのが
大人の社会人だっつーの!!
とにかく出不精な私である。
たまには家族サービスも止むを得ないと、嫁の好きなディスニーランドへ出かける事となった。
時は1月3日。正月と言うこともあって、大混雑。
海外からの観光客もあいまって、アトラクション2時間、3時間待ちは、当たり前の状況。
なにも、TDLまで30分ほどで行ける距離に住みながら、わざわざこんな混んだ日に行かなくたって良いだろうが!とただでさえ外出となると、機嫌が悪くなる私がマイナス120%のテンションでゲートをくぐる事になる。実はTDL初デビューの私。なぜかディズニーシーへは2年ほど前にいったことがある。
最初から機嫌が悪くなる事を見越していた嫁は、最初に私が食いつくように、大好きなSWのアトラクション「スターツアーズ」へ。
どこのテーマパークにでもある画像にあわして座席が揺れ動くアトラクションには飽きていたが、R2D2やC-3PO、アクバー提督が動き回り、エピソード4のデススター側溝へのアタック、プロトン魚雷の投下となりゃ燃えるってもんで、嫁には不機嫌な顔をして見せたものの、
かなり気持ちは小学生気分。ご機嫌になっていた。
ところがここからがいけない、
大混雑の上、大寒波の襲っていた浦安で空っ風に吹かれながら、アトラクション待ち2時間コースの連続。関東にきてからは、特に関西弁を使うこともなく自然に標準語で生活をしていた私であったが、不機嫌の絶頂に達していた私は、アトラクションの係員の一人の態度が少し気に入らなかっただけで「あ!?われ誰に物ぬかしとんねん!こっちは客やど?おぅ?わかっとんかい!調子こいとったら いてまうど!」
と関西在住時にも使ったことの無いような関西弁を吐き、周りを険悪な雰囲気に陥れたりした。
ちなみにその係員が言ったのは「お連れさまですか?違いましたら次の船にお乗りください(ジャングルクルーズ)」だけだった。
単に自分の目の前で、満員になり次の船の回されただけの事である。
嫁は、「ごめんなさい。」とあやまり倒す中、「ワシ客やんけ」とまだ騒ぐ。係員の青年、ほんとすまんかった。大人気ないのはわたしのほうです。
その後も、あらゆるアトラクションで順番待ち。こごえ死にそうな時間をすごし、人々がにこやかに楽しんでいるなか、私一人が日本海溝のような眉間のしわを作り、すべてのディズニーファンを呪いながらTDLに立っていた。
そんな中、数十分に渡る順番待ちをしている時(ピーターパン)目の前にミッキーマウスのお正月バージョンパレードが止まりショーを始める。最初「どうでもええがな」と思いつつ、心奪われる俺。
そのあと、散々寒いと文句を言っていたにもかかわらず、エレクトリックパレードが始まると「ちょっとこれは観てみる」といいながら、
最初から最後まで堪能し、デジカメ取り捲りの私。そのあと、最後に入ったホーンテッドマンションが、期間限定の「ナイトメアビフォクリスマス」ヴァージョンだったこともあってかなりご機嫌に。
今まで嫁につれていかれたテーマパークなど、アトラクションのほとんどがつまらなかったが、ショーやパレードは、かなり楽しんでいた事を確認。
嫁曰く、ディズニーランド好きには、アトラクション派とショー派があるのだとか。
間違いなく私はショー派になる。
確かにショーは、価値があると思う。
だってアトラクションなんて機械仕掛けのキャラクターが規則どおり動いてるに過ぎないとしか感じない。
ショーは、「あの着ぐるみ着てあのアクションはスゲー!」とか、
「あ、ウッディー俺に手を振ったぞ(子供か)」という感じが楽しいんだ。
すまん、今度はもう少し機嫌よく行くから、ショーとかパレード主体に楽しもうな。
と嫁に言ってみる今日この頃です。

オタクな性分の俺にぴったりの転職先ってあるかね?

関西生まれの私は、東京に憧れる事なく30年以上過していた。
神戸という街の人間は、どうやら自意識が強すぎるらしい。
そんな私が一昨年前から関東に転勤となり、仕事はもっぱら東京都内となった。
行く先々が、すべて観光地と言っても不思議ではない場所。
正直テレビの中の世界に立っている。
俺は神戸の人間だ。そこらの地方の田舎者とは違う。
と思っても、関東平野の果てしなく続く町並みとスケールに、
「すんません。田舎者でした」と敗北宣言。
仕事で「首都高速」を走る自分に違和感を感じながらも、
そんな日常に快感を覚える。
本物の都会と、その隙間に残る時代を感じる古い町並み。
結構、嫌いじゃないなと思い始めた。
高速を飛ばしながら、何気に六本木ヒルズを撮ってみた。
世間ではライブドアの粉飾決算とホリエモンの逮捕で騒然となっていた時。
偶然映し出された光のオブジェは、あたかもセントエルモの光の如く六本木ヒルズに鉄槌を落としているようだった。

関西を離れ、何が一番不自由になったかって言うと、阪神タイガースの試合をTVでやっていないって事。

昨年リーグ優勝しようってのに、スポーツニュースでさえ適当な扱い。

しょうがないのでケーブルテレビ契約しました。だが、アダルトチャンネル別契約で見れないんだよな。

つまんね。

トラ娘