こんにちは。
このお話は私の肘が人工関節になるまでの道のりを振り返っています。
過去の記事はこちらから。
はじめに → 私が人工関節になった理由
一覧 → 粉砕骨折の話
遠くで私を呼ぶ声が何度もして目が覚めたそこは手術室でした。
そのままストレッチャーで病室まで運ばれましたが
病棟は既に消灯していたと思います。
手術の日は母が朝から付き添ってくれました。
お昼に私を送り出し昼食を食べ部屋に戻りずっと待機。
夕方になり夕食の時間になってもまだ終わりません。
お腹がすいてきた母は部屋でカップうどんにお湯を注ぎ食べようとしたその時![]()
看護師さんから終わりましたの声。
母は泣く泣くうどんを捨てたそうです。
ストレッチャーで運ばれた私の足が土気色で驚いた母は
執刀医から出血が多くギリギリですがまだ輸血はしていない、
このまま血圧が戻らなかったら輸血すると告げられたそうです。
血圧がすごく低くて確か最初は60台でしたが測るたびに上昇し
すぐに通常に戻ったのをぼんやりと覚えています。
事故したときに応急処置をした先生もおっしゃっていましたが
私の血は回復がすごく早いようです。
もちろん若さもあると思いますが。なんせ23歳。
しばらくすると意識もかなりハッキリとしてきて
鼻からチューブ、尿道にもチューブ、患部からはドレーン、
左腕には点滴で胸には心電図があることに気がつきました。
まさか自分がこんなに管だらけになるとは。
術創の痛みも大きくなり痛み止めを何度か打ってもらいながら
長い長い夜が明けました。
術後2日目。
おならが出るまではお水も飲めません。
夜もきっと痛くて眠れないだろうと思い、
痛み止めは夜にとっておこうと(一日3回しか打てないので)
日中はひたすら痛みに耐えていました。
なのに夜になると痛みも軽くなり
疲れているからか朝までぐっすりと眠り、
昼間の使わず貯めていた痛み止めは結局使いませんでした。
2日目の夜は父が付き添ってくれました。
個室には2人掛けのソファが設置してあり、
消灯後父はソファで爆睡。いびきがうるさくて眠れない私。![]()
今回の手術は移植した骨で肘を繋げ、
そし壊死した皮膚の部分に自分の移植しました。
まずはその皮膚がうまくつくかどうか、です。
10日間くらいで結果がわかると言われました。
そして待望のおならが出たのですぐに看護師さんを呼びました。
聴診器でおなかの動きを確認し、チューブを抜くことに。
尿管カテーテルも抜けてだいぶスッキリ。
ここまで本当に長かったです。
食事も重湯から始まりましたが、
カテーテルをずっと入れていたせいかビニールの臭いが鼻につき何も食べられず。
でもなぜか桃だけは食べられたのでしばらくは3食桃でした。
今思えばなんて贅沢なんだ(笑)
起き上がる許可が出たのでベッドを起こしてもらうことに。
しかしほんの少し起こしただけでクラクラと目が回ってしまったんです。![]()
ずっと寝たきりだったので起立性貧血のようなものを起こしてしまいました。
なので少しずつ角度をつけていくことに。
60度に達した時に久しぶりに自分の足を見てびっくり。
下半身デブとさえ言われた私の足が見たこともないほどに細くなって
アホな私は何もわからずにちょっと喜んでいました。
ドレーンも抜けて10日ほど経ち皮膚のつき具合を見るために
医師が皮膚を保護していたガーゼをとったところ、
壊死することなく生きて立派に勤めを果たしていました。![]()
ある日テレビを見ていたときのこと。
何を見ていたか忘れましたが何かのコントで、
それが面白くて爆笑したんです。
その瞬間、骨と皮膚をとったおなかの脇の傷に衝撃が走りました。
熱さと痛さで傷が開いたかと思いましたよ。
よくドラマとかでおなかを切った人を笑わせる場面がありますよね。
ホント、それ。しかもシャレにならないくらい痛かったです。
それを知った友人たちがみんな私を笑わそうとしてました。鬼か。
ドレーンが抜けたのでベッドの端に座る練習をしますが
2か月近く寝たきりだったので腹筋が消え去り、座ったままキープすることができません。
初めて自分で自分の身体がコントロールできない悔しさを知りました。
さて、
寝たきりの間、何を着ていたのか。というと、
牽引で背中もあげることができなかった時はずっと浴衣を上からかける程度でした。
ベッドを起こすことができるようになって下はパジャマのズボンをはくようになりましたが
上は腕が通らないので前開きのパジャマを後ろ前に着て左袖だけ通し右肩はかけるだけに。
なのでいつも右肩が見えるセクシースタイルでした。
では座れるようになったときはどうしたのか?
背中丸見え?それはいくら何でもセクシーすぎるのでは?
私の場合は洋裁をやっていた友人のお母さんが
パジャマの右袖をとって肩もマジックテープで開くようにしてくれたので
シャーレとバンテージで2倍の太さになっている腕でも難なく着れることができました。
今は手術や介護用のかわいいパジャマがたくさんありますけど
当時はあまりなかったんです。
これも体験しないとわからない事でした。
続きます。