門前のビラと、心の自由
昭和から平成へと移り変わる時代、会社の門前は、
単なる出入り口以上の熱を帯びていた。
8時始まりの始業前、早足で職場へ向かう従業員の波。
その傍らで、夜勤明けの腕を休める間もなく、ガリ版刷りのビラを配る人々がいた。
内容は、勤務体制の改善要望や、働く者の権利を訴えるもの。
「赤旗 緊急版」と称されるその紙片を、会社の労務部は厳しい目で見守り、
配るもの者、受け取った者をチェックしていた。
私は、それをごく自然に受け取っていた。
内容にすべて賛同していたわけではない。言い過ぎだと思う部分もあった。
だが、そこに何が書かれているのか。彼らが何を訴えているのか。
それを自分自身の目で確かめ、自分の頭で判断することは、
一人の社会人として当たり前の「知的な権利」だと思っていたからだ。
しかし、やはり「彼」は、その領域にまで踏み込んできた。
「おい、鈴木君。お前、あの新聞を受け取っているらしいな。そんなことしたらいかん」
その忠告を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。
これまで、バレー部の先輩として、職場の上司として、多くの理不尽を飲み込んできた。
だが、私が「何を読み、何を考えるか」という心の自由にまで指図を受けるいわれはない。
「私は受け取ります。内容は自分で判断します。受け取るなというのは、おかしいでしょう」
私は、かつてないほど強めに抵抗した。
「そんなに読みたいなら、継続購読して内容を精査したらどうだ」
とまで言ってきた。
「そのつもりはありません。勝手に判断します。ガリ版の受け取りが何がいけないのか、
論理的に説明してください」
私も止まらなかった。
それは単にビラ一枚の問題ではなく、私の「個」としての尊厳を守るための戦いだったのだ。
彼は、部下が「色」に染まり、自分の管理から外れることを恐れていたのかもしれない。
だが、真の信頼関係とは、相手を型にはめることではなく、
異なる考えを持つ個人の「判断」を尊重することから始まるのではないだろうか。
ビラ一枚を受け取る勇気。
それは、組織という大きな渦の中でも、自分自身の「目」と「心」を曇らせないという、
私なりの小さな、しかし譲れない抵抗だった。
今、あの門前を思い出す。
どんなに時代が変わっても、自分の信じる「正解」は、誰かに与えられるものではなく、
自分自身の手で選び取るものでありたい。
(注)思想を語るものではありません。
