50年目の答え合わせ
怪物・鎌田先輩が隠していた「もう一つのオリジナル」
前々回、前回と、早稲田大学の2学年先輩である鎌田先輩との、
340cmの高さで火花を散らした記憶を綴ってきた。この記事がきっかけで、
先日、私は鎌田先輩と何年かぶりに電話で話をすることができた。
50年も前のことだというのに、受話器の向こうの先輩の声を聞いていると、
当時のコートの熱気が一瞬にしてまぶたの裏に浮かび上がってきた。
そしてその会話の中で、私は初めて知る「衝撃の真実」
を突きつけられることになったのだ。
実は、私が高校3年のセレクションの際、
レフトからのサイドアタックを仕掛けてきた先輩をシャットアウトし、
「そこまでの選手か?」と思ってしまったあの瞬間。
鎌田先輩は大学2年生で、まさに「スランプのどん底」
で一人思い悩んでいた時期だったという。お互いの記憶のパズルが、
50年の時を超えてピタッと合致した瞬間に、私は猛烈にゾクゾクした。
しかし、怪物はただ悩んでいたわけではなかった。その暗闇の中で、
先輩は自身の「ハタキジャンプ」を応用した、
前代未聞のオリジナル技を一人で開発していたのだ。
それが、「ターンブロック」である。
当時のバレー界において、ブロックとは「ネットに正対して跳び、
壁を作ってコースを限定する。開いた後ろのコースはレシーブに任せる」
という組織戦が常識だった。
だが、鎌田先輩の思想は全く違った。
相手がトスを上げた瞬間、まるで自分もスパイクを打ちにいくかのように、
空中で体を90度ターンさせ、両手でダイレクトに叩き落とす。
組織としての壁ではない。一つのトスを巡って、
空中でスパイカーと一対一でスパイクを打ち合っているような、
圧倒的な個人技による「空中戦」だった。
文字通り、この目で見たことがある。
鎌田先輩はセンターブロック(ミドルブロッカー)だった。
本来のセオリーなら、相手レフトからのスパイクに対しては、
中央からサイドへ走り込んでクロス方向のコースを締めるのが鉄則だ。
ストレート側は、ライト側のブロックやレシーブに任せる場所である。
ちなみに、当時そのライトにいたのは、私の同期であり名セッターの吉松だった。
彼はトスの天才だったが、ブロックはほとんど出ていなかった。
当然、相手スパイカーは「ライト側(吉松のところ)のストレートは完全に空いている」
と狙いを定めて打ってくる。
それを完璧に読んでいるのが、鎌田先輩だった。
中央から猛烈なスピードでサイドへ走り込み、
なんと守備に入ろうとしているライトの吉松を文字通りドカンと吹き飛ばしながら、
空中で体を90度反転させてストレートスパイクを直接ハタき落とすのだ。
勢い余って、本当のネットではなくライン際のアンテナに先輩の腕が激しくぶつかっていた。
味方に吹き飛ばされる吉松と、アンテナに衝突する鎌田先輩、
後ろから見ている私にとっては、最高に凄まじく、
そして最高に滑稽な、愛すべき早稲田のワンシーンだった。
しかし、先輩のブロックは「ハタき落とす」ものだから、
あまりのボールスピードに、ネットタッチ(アンテナ接触)
の反則をとられる前にボールが地面に落ちてデッド(ラリー終了)
になることもしばしばあった。ルール上、プレイが終わった後の接触は反則にならない。
常識だけでなく、ルールをも置き去りにする、とんでもない身体能力だった。
前回の記事で書いたネット際の「ヘディング」もそうだが、
鎌田先輩はどこまでもルールを熟知し、自身の肉体を極限まで使いこなして、
バレーボールの常識を次々とハックしていく人だった。
スランプに抗い、誰も見たことのない空中戦の地平を切り拓いた鎌田先輩。
その影で、いつも豪快に吹き飛ばされていた名セッターの吉松。
そしてその背中を追いかけ、技を盗み、
強豪、松下電器のコートで同じように知略を爆発させた私。
吉松はすでに旅立ってしまったが、この泥臭くも華やかだった時代の話を
、きっと天国で「おいおい、また俺が吹き飛ばされた話かよ!」
と笑いながら聞いてくれているに違いない。
「あの頃の早稲田のコートには、確かに誰も真似できない、世界に先駆けたバレーがあった」
50年目にしてようやく完成したこのパズルは、今も私たちの青春のコートの中で、
色褪せることなく眩しく輝き続けている。
(リアルな記憶、記録の為、そして敬意を表して
実名にさせて頂きました。)