古稀おじさん人生の並木道

古稀おじさん人生の並木道

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早稲田のコートで交錯した二つの「340cm」―怪物・K先輩との記憶

​私のバレーボール人生において、「上手い」という枠を遥かに超えて、
ただただ「凄い」と思わされた名選手がいる。
早稲田大学の2学年先輩であり、
チームのエーススパイカーとセンターブロックを兼ねていた、K先輩だ。

​実は、彼との最初の出会いは、私が高校3年のときに出席した
早大のバレーセレクションの場だった。
その時、レフトからサイドアタックを仕掛けてきたK先輩のスパイクを、
私は見事にブロックシャットアウトしている。
当時の私は「助走のタイミングが合っていないな」と感じた程度で、
正直、そこまで名選手だとは露知らず、
「これなら大学でもやっていける」とさえ思っていた。

​しかし、晴れて合格し、1年生として初めて早大の練習に参加した日、
私は言葉を失うことになる。
​コートの中で、K先輩は超高打点から猛烈な「Aクイック」を叩き込んでいた。
相手ブロックがどんなにマークについていようが関係ない。
マークの上から指先を弾き飛ばし、すべてのボールを強引に決めていく。
当時の全日本選手を見渡しても、これほどの芸当ができる選手はどこにもいなかった。
セレクションの時の姿は、本来のポジションではないレフトでの、
ほんの一幕に過ぎなかったのだ。「とんでもない怪物のいる場所に来てしまった」と、
胸が震えたのを今でも覚えている。

​それから私は、1年春のリーグ戦からいきなりK先輩と「エース対角」を組むことになり、
ともに2年間の激闘を駆け抜けることになった。
​当時の早稲田の攻撃は、ほぼほぼ私とK先輩の二人で、
全スパイク打数の80%以上をこなしていた。文字通り、
二人でチームを背負って戦っていたのだ。

その結実とも言えるのが、私が2年の春のリーグ戦である。
私がスパイク賞、K先輩がブロック賞。
主要な個人タイトルを二人で分け合ったあの瞬間は、
私のバレー人生の中でも本当に素晴らしい、最高の思い出だ。

​私とK先輩には、共通点があった。
共に身長は180cmそこそこ。当時の基準としても決して超大型とは言えない体格ながら、
スパイクの最高到達点は二人とも「約340cm」。
この数字は、現代のバレーボール界に放り込んでも十分に通用する驚異的な高さである。
​しかし、その340cmへ到達するための「ジャンプのメカニズム」は、二人で全く異なっていた。
​私は、深く沈み込んでから、自身の筋力と滞空力を最大限に活かして垂直に跳ぶスタイル。
対するK先輩は、沈み込みの角度が非常に浅い。
助走の水平速度(横の力)をブレーキによって一瞬で縦の力へと変換し、
弾かれるように跳ぶスタイルだった。

​一度、その不思議な跳び方について、本人に直接訊ねたことがある。
「先輩、なんでそんなに浅い沈み込みで、そこまで高く跳べるんですか?」
​K先輩はニヤリとして、こう教えてくれた。
「体操の『床運動』のジャンプを参考にしているんだよ」
​コートの床の反発力(バネ)を、文字通りハタくようにして利用する。
先輩はそれを「ハタキジャンプ」と呼んでいた。
​この言葉は、私にとって大きな転換点となった。

それまでは自分の肉体的な滞空力だけに頼ったスパイクだったが、
K先輩の理論をヒントに、床の反発を利用して「早くジャンプし、早く打つ」という
空中戦の引き出しを、私も徐々に身体に覚え込ませていったのだ。

​高校生の私が偶然シャットアウトした、一人の先輩。
その人が、大学で最高の相棒となり、最大の技術的ヒントをくれた恩人となる。
180cmそこそこの二人が340cmの高さで火花を散らしたあの熱いコートの記憶は、
今でも私の中で鮮烈に輝き続けている。