消えた体温、届かない言葉 | 古稀おじさん人生の並木道

古稀おじさん人生の並木道

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最近、昔の記憶を一つずつ紐解いている。

 

実業団時代の「ある大会」での出来事だ。
​地方大会のトーナメント。
1日に4試合もこなす過酷なスケジュールの中、
勝敗を分けるのは技術以上に「コンディションの維持」だった。
​1試合終わるごとに、監督、総監督、
キャプテンが集まるミーティングがある。
現場の空気を知る監督やキャプテンは短い。
「ご苦労さん、次も頑張ろう」
その一言で、我々選手はすぐに次の戦いへ向けて体を休め、
水分を摂り、集中力を高めることができる。

​ところが、総監督の彼は違った。
​試合直後、汗が滴り落ちる中、
我々を立たせたまま訓話が始まる。
5分どころではない。7分、いやもっと長く感じた。
内容も、次への具体的な戦略というよりは、
精神論に近いものだったように思う。
​その時、私が考えていたのは、
残念ながら彼の言葉の内容ではなかった。
「早く、体を冷やさないようにしなきゃならない」
ただそれだけだった。

​激戦の直後、汗をかいた体でじっと直立不動でいると、
みるみるうちに体温が奪われていく。
筋肉がみるみる固まっていくのが、自分でもよく分かった。
次の試合のためには、またゼロから入念なウォーミングアップを
やり直さなければならない。
1日4試合。その度にこれを繰り返すのだ。

​彼は、我々の体を心配してくれていたのだろうか。
それとも、自分の言葉を届けることに一生懸命だったのだろうか。
​「場違い」という言葉が、不謹慎ながら頭をよぎった。
どんなに立派な言葉も、相手の状態を無視しては、
ただの「雑音」に変わってしまう。

特に、極限状態で戦うアスリートにとっては、
言葉よりも「静養」が何よりの応援になることもある。
​今振り返れば、彼なりの鼓舞だったのかもしれない。
だが、あの時、冷えていく筋肉をさすりながら感じた
「虚しさ」は、今も消えない。
​リーダーシップとは何か。

相手が今、何を必要としているかを感じ取る「空気感」の大切さを、
私はあの冷えた体育館の片隅で、身をもって学んだ気がする。