息子の闘病日記もどこへやら
今年の元旦から始まった、夫婦不仲
あれから、おおよそ1年
喧嘩以外のコミュニケーションがないという、なんともまあ辛い時間でした
あんなに、別れたかった相棒
いざ、別れてしまえば、ポッカリしますな
寂しいとは、違うし
別れを選んだことへの後悔でもない
ただ、あんなに傷つけ合う必要ってあったか?
怒るほどのこと、喧嘩するほどのこと、憎く思うほどのことであったのか?と思うと、少なからず泣けてくる
心の優しい人で、私のことを大好きで、大事にされていた頃を思い出す
その頃とは別人の顔を見せることが増え、
本人も誰も知らなかった扉を開けてしまった気がしている
玄関先で泣きながら握手を求めてきた彼とのこんなスキンシップは、いつ以来だろう
いつも責めてばかりいたけど、出産後の私に責任があったことを今更ながら反省している
ものすごく大きな幸せな、息子というギフトと引き換えに、きっとものすごく寂しい思いを与え続けてきたんだろう
本来であれば、感謝し共に力を合わせるはずが、頑張る相棒に負担をかけまいと、ひとりでなんでもできるようになり、頼ることをやめた
些細なことでも頼ると喜ぶ人だとわかっていたのに
良いときも悪いときも、腹の底から感情をぶつけ合えた相手だったことは間違いない
互いの度量はさておき、良くも悪くも気取らず我慢せずに過ごせる相手だった
ひどい言葉、優しい言葉、冷たい態度、感謝の気持ちや、愛情表現など、すべてさらけ出していた
彼の家族へ対する私の気持ち以外全部
もしも彼の両親が彼らでなかったら、そればかり考える
彼を育てたのは間違いなく彼らだ
それはわかっていても、どうしても彼らへの感謝や愛が生まれてこない
今が一昔前の時代だったら、
今が今より10年先の時代だったら、
私たちをとりまく環境がこんなでなければ、と日々、自分以外の所為にしていた
我々は事実婚であるが、法律的な夫婦だろうとなかろうと、離婚は想像以上にパワーの消耗が激しいことがわかった
昨日を以って夫婦としては終わり、これからは、夫婦としてではなく、息子の両親として優しい気持ちを持って接したい
そう思えたのは、これまでどんなときも頑なに別れることを拒んできた彼が私のことを思い、受け入れてくれたおかげですべてが報われたと感じたから
彼にとっては、相当な断腸の思いだったことは想像に難しくない
憎いと思った日は数知れず、消えていなくなってしまえと思った日も数多く、それでも毎日寝る間際だけは感謝の気持ちを持って寝ていた
本当は、昨日も言いたかった
けど、言えなかった感謝の気持ち
自分のワガママで懇願してきた別れを、とんな思いをして受け入れるに至ったのかを想像すれば、ここでいい人になるまいと思った
ありがとう、なんだかんだ言っても楽しく幸せでした、なんて言ったら彼の決意に失礼だと思った
別れることになったからこそ、楽しく幸せだった日々だけが思い起こされているだけのこと
後悔はない
ただ、もっと優しく思いやることはできたよな、と反省している
彼の頑張りを、もっと認めてあげることできたよな、と思う
甘えてきたのはこっちの方
痒いところに手はまったく届かず、頼りない人ではあったが、的外れでも一生懸命な人で、彼の持つポテンシャルを引き出せなかった私の力不足を彼のせいにして、
また多くを望みすぎたのは私かもしれない
本当は、どこか寂しかったのかもしれないと今となっては思うところもある
時間があるとすぐ実家の親元へ息子を連れて行かれるのはいやだった
親思いの人だから何にも言わなかったけど
本音は、3人での時間を大切に食事や出かけたり過ごしたかったのかもしれない
週に一度、唯一話せる夜に、一目散に息子と実家へ行き、帰宅し風呂に入れると今度は一目散に姉夫妻の所へ出かける姿を見てるうちに、私は一体なんなんだ!?といつの間にか月曜日はいやな日になった
私たちは
完全にコミュニケーション不足だった
あのね、
今日まで本当にお疲れ様
感謝してるんだ、本当はね
こんな気持ちで、毎日過ごしてたらよかったよねきっと
私たちは、お互いにお互いを卒業
ありがとう
ありがとうよりももっと上の言葉があるなら、それ
Mizz