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「避難所ウォ-カー」

…   東日本大震災・ボランティア活動体験記

2011年4月6日、水曜日-


前回の活動は、参加者ゼロで中止してしまったが、それでも事前に案内している日程に基づき、この日も活動を行う体制で体育館に向かった。


この日までの間に、いくつかすべきことがあった。

まず、前回中止したその日だが、学生ボランティア本部に連絡をとり、ニーズも減少してきているようなので、ボランティア募集広報を中止してほしい旨を依頼し、せっかく協力してもらいながら活動実績を挙げられないことを謝罪した。

本部のスタッフは快く応じてくれたが、ただその時点で、新たに二名の学生から参加申し込みが届いているので、そちらに個別に連絡を入れてほしいとのことで、その二人の連絡先を教えてもらった。


学生お二人には個別に電話連絡をとり、これこれこういう事情で、一応6日に活動は予定しているのだが、せっかく協力いただいても、もしかしたら参加希望者ゼロで中止になるかもしれない旨を伝えた。

結果、一人は次の日に辞退するとの連絡をいただいたが、もう一人は、中止なら中止でいいのでということで、当日は現場に行ってみるとのことだった。


そしてこの日、スタッフとして参集してくれたのは、僕のほかに、以前から一緒に活動しているSさん、学生ボランティアが3名、学生ボランティア本部のスタッフ1名、と、なんだかスタッフばかり人数が揃ってしまうような形となった。


さらに、体育館前で打ち合わせをしていると、女性が一人近付いてきて、「ウォーキングのボランティアはこちらですか」と訊ねる。

僕はてっきり、参加希望の避難者の方かと思い、出発まであと少しお待ちいただきたいと伝えたのだが、実はその女性は、地元在住のTさんという方で、自分もボランティア活動に協力したくて来てくださったのだということだった。

よくよく聞けば、Tさんは臨床心理士の資格も持っているらしく、被災者のためにボランティアで何かをしたいと思いながらも端緒がつかめずにいたところ、インターネットの学生ボランティア本部の掲示板に載った広報をたまたま目にし、活動を知ったとのことだった。


話を聞いて、やはり今回の災害に際し、多くの人が、何かをしたいという止むに止まれぬ思いを抱えていたのだろうということが、改めて感じられた。それはきっと、僕が先日気付いた言葉でいえば、「ひとりひとりのホスピタリティ」ということになるのだろう。


Tさんには申し出を感謝し、この日はとりあえず、一緒に活動してもらうことにした。


(つづく)

「ホスピタリティ」という言葉は、日常生活でそんなに耳にするものではないと思う。


Yさんの発言でその言葉を聞いた際も、初めて聞く言葉ではないにしろ、僕は恥ずかしながら正確な意味を知らなかった。


日本語に訳せば、「おもてなし」という言葉になるのだろうか。ただし、それだけでは少し意味が狭くなってしまう気がする。

たしかに、お客様に対するおもてなしもホスピタリティだが、より広く、困っている人への配慮の気持ちから、さらには他人に対する接し方全般まで含めてホスピタリティだというのが、現在の僕の考え方だ。


道に迷っている人がいれば、どうしましたか、と声を掛ける。道に荷物を落としてしまった人がいれば、拾うのを手伝う。そんな一つ一つの振る舞い、他者への共感が、ホスピタリティなのだ。


だとすれば、僕が今回行ってきたことも、まさに「ホスピタリティ」だったのではないだろうか。

Yさんに関する記憶から、唐突な啓示としてこのことに思いが至り、僕は呟いていた。


「そうだよ・・・これもホスピタリティだったんだ・・・」


それは、震えがくるような感覚だった。ずっと探していた答えが、突然、目の前に現れたのだ。


ボランティア活動などと言いながら、自分の取組に対して感ずる違和感。誰かのために、とか、喜んでもらうために、とかではなく、もっと違うところから湧き上がってくる切迫感。

取組の幅を広げたり、もっと役立つことをしたりしたく思うでもなく、ただ自分のできることがしたかった。なぜなら、これは僕なりの、ホスピタリティの発露だったのだから。


善意を押し付けたり、アピールすることへの嫌悪感。報道で取り上げられることへの違和感。それらもすべて、これがホスピタリティであったと気付けば、納得がゆく。


そう。僕は特別なことがしたかったわけではなく、ただ、ホスピタリティをもって、人と接したかっただけなのだ。


考えてみれば、当たり前のことかもしれない。その取組こそを、「ボランティア」と称するのかもしれない。ただ僕は、これまで自分なりの答えを持たず、そのために悔み、戸惑い、後悔してばかりいた。


だけど今、やっと気付いた。すべては自分なりの、ホスピタリティだったのだということに。


そして、そのことに気が付いてしまえば、もう迷うことはない。

参加者がいなくても、喜んでもらえなくても、必要があるかどうかすら大きな問題ではない。僕は僕なりに心を示し、僕を必要とする人がいれば、それに応えたいだけなのだから。


ずいぶん長い時間をかけて、この答えに辿り着いたものだと思う。でも、自分なりの答えを手にできただけ、僕は幸いだったのだろうとも思う。自分のしてきたことを、ようやく正面から捉えることができるのだ。


このことに気付いてから後の帰路、従前までの気分から一新し、僕の足取りはひどく軽かった。


(4月6日につづく)

「そうか・・・ホスピタリティなんだ・・・」


僕がそう呟いたのは、Yさんに関する記憶が関係している。


十数年前、新潟県に勤務し、国際交流関係の業務を行う部署に在席していた際、同じ係にいた先輩がYさんだった。

あるとき、県費留学生として受け入れている東南アジアからの研修生から、住居トラブルに関する連絡があり、ちょうどその日、本来の留学生事務担当者が休暇を取っていたため、その代理として、Yさんと僕が、留学生のアパートまで出向くことになった。


ちなみにトラブルといっても大したことはなく、わざわざ二人で出かけるほどのこともない程度のことだったのだが、何かあったときのために複数で行動を、という上司の配慮により、僕はYさんのお伴として、ただ単に随行させてもらったようなものだった。

アパートに到着し、留学生、といっても30歳を過ぎている技術研修生から住居トラブルの状況を聴き、当面の応急対策を講ずるとともに今後の対応を話し合い、一時間ほどでYさんと僕は帰路に着いた。


その帰路で、Yさんは何かを考えていたようだが、ポツリポツリと口にした。


「オレさ、今日はじめてあの研修生に会ったけど、もう結構な年だよな。それでも技術を学ぶためなのか、家族を残して単身で来日して・・・、仕方ないんだろうけど、あんな不便な独身学生向けみたいなアパートで一人暮らしして。苦労してんだろうな」


Yさんは、研修生の暮らしぶりを目の当たりにし、当時まだ若年だった僕などでは考えが至らぬ点に思いを巡らせていたようだった。


「来る方も覚悟して来てるんだろうけど、受け入れる方だって、精一杯の気持ちで対応しないと駄目なんだよな。物とか書類じゃなくて、人が相手なんだからさ。今日だって、担当は休み取ってたけどさ、本当は休み取ってる場合じゃねえんだよ。留学生が日本で頼りにできるのは、受入窓口だけなんだから、ホスピタリティの心で接してもらいたいよな」


休みも取れないと言われては担当者も気の毒だが、Yさんの発言を耳にした僕は、そのことよりも「ホスピタリティ」という耳慣れない言葉の方が気になっていた。


(つづく)

体育館からの帰途、僕の足取りは重かった。


そうか、いよいよ参加希望者ゼロか。仕方ない。いつまでもニーズがあるわけではない。しかし、思いのほかあっという間に飽きられてしまったな。それとも最初からニーズなんかなくて、皆さん物珍しさで参加してくれただけだったのかな。


せっかく学生ボランティア本部から協力してもらってるのに、ボランティア募集広報も中止してもらわないとな。参加希望者がゼロなのに、ボランティアスタッフばかり集めても仕方がないし、学生の方も、またキャンセルされても困るしな。


ネガティブな方へ方へと傾く気分を変えるため、途中から信濃川沿いの遊歩道に出て歩くことにした。大河信濃川の流れに、心を癒やしてもらおうと考えたのだ。

それが効果を奏したばかりでもないのだろうが、たしかに僕は考えを変えることができた。


そうだ、今こそ胸を張らなくては。

希望者ゼロということは、避難者の人たちも周辺の地理に明るくなり、自分達で活動できるのだということ。それはそれで活動の実績ということではないか。それこそが、成果なのではないか。


取り組んできた活動が、成果を挙げた結果としての、希望者ゼロなのだ。

うん、今こそ胸を張るべきなのだ。


無理して心を奮い立たせ、頭を上げると、前方に立つ新潟県の行政庁舎が目に入った。

この日は土曜日、通常であれば閉庁日であるが、災害関連でおそらく大勢の職員が出勤し、業務に当たっているであろうことが想像された。

少なくとも、防災関係部署の職員は、24時間体制で勤務に当たっていることだろう。


その中でも、かつての上司に当たるある方のことが、ふと思い浮かんだ。

その方はYさんといい、新潟県の防災関係部署で管理職を務めている方だったが、その昔、国際交流関連業務を行う部署に在籍され、当時同じ部署に在籍した僕に、さまざまな業務を指導してくださった方だった。


Yさんはきっと、発災以来ずっと休みもなく働いてるのだろうなあ。そんな風に考えながら歩いていたとき、唐突に啓示が訪れた。

思わず足を止めた背中を、戦慄のような感覚が走り、僕は声に出して呟いていた。


「そうか・・・ホスピタリティなんだ・・・」


(つづく)

2011年4月2日、土曜日-


僕は一人、ボランティア活動に取り組むべく体育館に向かった。

この日スタッフとして参加を予定していた学生二人から、前日、参加を取り止めたいとの連絡があったのだが、その時点で既に、開催案内のビラを配布し終えていたため、こちらの関係で中止するわけにもいかず、一人で活動することにしたのだ。


むしろ悪天候で中止にでもなってくれればちょうどよいとも思ったが、こんな日に限って天候は悪くなく、十分に実施できる状況だった。

僕は市役所職員にマイクを借りて、体育館内で参加呼び掛けをさせてもらい、定刻まで玄関脇で待つことにした。


しかし・・・定刻を過ぎても、参加希望者は誰も集まらない。

しばし待ってみたが、やはり誰もやってこない。

そう、ついに参加希望者が誰もいないという状況を迎えたのだった。


なんとも言えぬ脱力感だった。

いずれこんな日が来るかもしれないと覚悟してはいたものの、いざその瞬間を迎えると、言い切れないむなしさが僕を包みこんだ。


もう一度館内で呼び掛けさせてもらおうかという考えも頭をよぎったが、いや、それでは親切の押し売りになってしまうと考え直し、三十分ほどそのまま待機した後、僕はひっそりと体育館を後にさせてもらった。


そうか・・・。希望者ゼロですか。

終わったな、と思った。いつまでもあるかどうかわからないニーズに期待していた自分が、道化のように感じられた。


終わった、終わった。

ウォーキングで身体を動かしましょうだとか、周辺の道案内しますだとか、必要性なんか全然ないのだ。自分だけが重要な活動だと思っていただけなのだ。


むしろ今日、ひとりで良かったのかもしれない。せっかく学生ボランティアに来てもらってこのザマだったら、目も当てられないところだった。

そう思う反面、やはりやり場のない苛立ちの矛先が向かい、いや、そもそもあいつらがこの日にやろうというから設定した日程で、こんなことなら今日は最初からやらなければよかったのだ。連中がキャンセルなんかするから気落ちしてしまって、それが呼び掛けにも現れたのが伝わって、希望者が集まらなかったのだ、と、理不尽なところにまで思いは波及した。


(つづく)