三國志の中に
「墓泥棒も百年後には墓の中」“董卓め〓”
という言葉が出てくる
今、目の前にいる人達のほとんどは自分を含め百年後にはこの世にいない…
例えばその時、その瞬間に何かや誰かをナイガシロにして得た“得”と
その人間が灰になった後に残る“ひどい事をした”という事実
“人生を長い目でみると本当の「得」が見えてきますよねぇ〓”
“正しい人生を生きましょうね〓”
とか
やっぱり僕は言わない
墓泥棒が良いとは言わない どころかそりゃいかんよ人間的に、道徳的に、常識的に… オレオレ悪徳業者だって“マズくね?” くらい言うと思う
ただ僕は、いや世界中の人達だって、どうしようもない摩擦の中で日々暮らしていて
きっとそのほとんどが何らかの“得”のために…
じゃないのか?と思う
そしてその“得”とは何も汚さず、誰も傷つけず、綺麗なまま手に入るものばかりじゃない と僕には言い切れる
「そんな事ないよぉ〓」
って言う人もいるかも?だけど、一度も何の過ちも犯さず人生を終えられる人間がいるのか?
そしてその過ちは何らかの“得”を得るために発生するんじゃないのか?と
「人の幸せのため」とか「世界の平和のため」とかもっともらしい事を言ったところでそれはやっぱり“得”でしかない
過ちを犯す前に自分の墓を掘り起こされる覚悟があるかどうか
自問自答出来るか?
かな…
結果は百年後に…