ぶっっっっ殺すっぞ!ゴラァ    

僕、安楽死大大大賛成!!

お**こ!!!!!!!!

死ね死ね死ね死ね死ぬ!!


もし僕が以後、何かしら全国区規模になるような事件を起こしたらきっとワイドショーや夕方のニュースなんかで

「犯人はこんな人物だった!」

とかなんとか銘打って精神分析医とかも呼んじゃって面白可笑しくキチガイ扱いしながらこのブログがお茶の間のテレビジョンでアップになったりするんだろう なぁ と
中途半端な汚い言葉なんか良い素材だ...(まだアマイか)


文章の中の都合のいい
「そ!こ!の!」「そ!の!」部分だけを切り取って発表すればどんな内容だって良くも悪くも“伝える側”の思いのままに伝える事ができてしまう
“あいつはバカだ”
と伝えるのと
“あいつは頭が良くはない”
と伝えるのでは同じような内容でもその伝わり方は変わってくる
同じ阪神戦のニュースでもテレ朝と日テレでは試合の印象が違うし、サリンの第一発見者を誰もが犯人だと思ったワケだし、トシチャンは良い奴だと思われてたし(古いけど)ウンヌン...


言葉ってのは難しい

その部分の前後にも、もしかしたら他の意味が隠れてるかもしれない のだから...

ほんの少しでもこのアホアホブログを理解してくれる奇特な方がいたとしたら

それは「文章を」というより僕を理解してくれようとしてくれてるに違いない

僕の足りない言葉を創造して、理解に勤めてくれてるって事じゃん?...


と願う


友達の言う事より東スポの見出しを信じてしまうアイツやコイツ(まぁ友達じゃねぇけどな)

詩であれ記事であれラヴレターであれ 受ける側の気持ち次第なのかもなぁ

 とダメダメ表現者


自分が住んでる世界なんてせまぁいもんだと思う



“みぃんな知ってるしぃ”“みぃんな持ってるしぃ”“みぃんな言ってるしぃ”“みんなやってる事だしぃエッチしてお金もらえるなんてチョー良くなくないですかぁ〓”
“最初は軽い気持ちで…まぁみんなやってる事だし一回だけなら大丈夫かなぁと思って 二回、三回続けてるうちにやめられなくなって… え〓今は立ち直って寺で皿を洗う仕事してますけど 完璧にやめられたとは思いませんねぇ”
“このくらいの不正みんなやってますよ”(元幹部)

そもそもその“みんな”ってのは具体的に何人ほどナンスカ?と聞いてみたい


みんな=世界中
くらいな勢いがあるけど
顔も名前も把握してる数はたぶん多くても100人はいないと思う 10人でも怪しい う~ん5人? くらい?ん?
(何の確証もない、見たり聞いたりしただけの事柄も20票分くらい含んで) 知り合い数人と他、存在してるであろう想像上の大多数 で成り立ってるってのが当たりじゃないスカ?

数や規模はともかく、その“みんな”というのがそいつの住んでる世界(ほぼ)すべてだと思う

広ぉぉい世界に住んでいて、たくさん人と関わってるつもりでも自分の生きてる場所はある程度限られてる

ましてや親しい相手=
自分の居場所を心に用意してくれてる人
は尚更少ないと思う


自分が“みんな”という言葉を使う時、現実の“みんな”と比べてどのくらい四捨五入してるか?
「虚勢」をはってるか?分かるってもんだ


自分に告ぐ


「価値観」は最終的に淘汰される
とか書くと小難しい印象になるけど要は
“みんなが右向きゃ残った一人もいずれ右向く”
という事だ


100人中99人が悪者なら残る1人もいずれ悪者になる
100人中99人が善人なら残る1人もいずれ善人になる

すでに統一されてる価値観の中でどうしても淘汰されない人間がいたとしたら
必然的におかしいのはそいつの方だという判断がくだされる
“99人の価値観”をひっくり返せない限り最終的にその組織なり集まりを抜けるしかないと思う
流行りの“いじめ”ってのもそういう腐れ価値観の一つの例だと思う


相手が組織や複数でなくても自分にとって存在が大きければ必ず価値観に影響を与える
恋人の趣味、友達の考え方、好きなアーティストの‘人となり’、流行りという形のないモノ ETC
「自分は誰にも何にも流されない!」と意気がったって常識という価値観の中で生活してるワケだし、自分で判断してると思い込んでる「善悪」ってものもオオモトはどっかで刷り込まれてきたモノじゃん?

とかダラダラ書いたけど↓これが言いたかっただけ
「一人を好む人間は“99人の価値観”になじんでしまうのが怖い」
から…ってのが本音じゃないかなぁと
そのくせ自分の価値観側にひっくり返すなんて無理…だと決めてしまっている


少なくとも僕はそうだ

激しく怖い

時々すねたりするzzz