自分で言うのも“アレ”だけど僕はネガティブ思考な人間だ
いつも上から目線で偉そうに好きなことを書いてますがねぇ…えーえー


「物事をマイナスに、悪い方に考える」のに関して僕はかなりのラベルだと思う
“最悪の日がやってくる”と毎日、自分に言い聞かせ、やって来ては去っていく“まぁまぁな日”を“ちょっとだけ良い日”にすり替えながら何とか日々を生き延びている
僕の生き方というか日々の“やり過ごし方”なんて言葉にするとそんなもんだ


ただ他の生き方を知らないワケじゃないし
こういう生き方しか出来ないワケでもない(と思う)

これが合っていると思い込んでるのが楽チンチンだからそうしてるだけだ


ただ
矛盾するかも?だけど僕が今“生きていること”事態はポジティブと言える 

もしネガティブを突き詰めて生き続けたとしたら
その“果て”にあるのは自分の抹殺(自殺)だ
自分を抹殺せずに(出来ずに)今、ウンコウンコ言いながらボケボケ生きているってことは何かしら人生に「良い」と思う部分があったからだ 救われる部分がほんの少しでもあるからだ…


それは何かというと


「ダメでいいじゃん」


という価値観だった
ネガティブを肯定してくれる情けなくも暖かい
ただの言葉だった


ダメがダメのままだったら余裕で今頃死んでいただろう
“ダメも有り”という逆転ホームランであの頃の僕はなんとか今の僕に打順をつないだのだった


中~高校にかけて聴いていたレイディオのおかげさまさまだ


これはすべてでないにしろ僕の大きな部分を占めている
僕が体で覚えた“正しさ”の一つだ


でもそれが良かったかどうかは未だ分からない
僕のアマアマな部分がそこから来てるのは確かだし
そもそも自分が“生きている”こともにも疑問さえ持っているし
何の結果も出てないのだから

「ダメな奴は何をやってもダメなんだ」
かっ
チョーウケるんですけどぉ~

日本の人工増加率は横這いか下降…
ってことは
街で見かける妊婦さんの数だけ、もしくはそれ以上これから死ぬ人を見ているって事になる(まぁいずれはみんな死ぬが)

小子化、小子化言われてますが元を正せば腐った政治のせいじゃんかっ
とか言いたくなるけど
そこは今回グッと堪えて


例えば爺ちゃん婆ちゃんの世代は異様に兄弟が多い
十人以上の家族なんてザラだ
今より物がなくって 食べ物もなくって 便利でもなくって 大半がボンビーな時代

これは爺ちゃん婆ちゃんの両親が暇で子作り以外にする事もなくって
“んもぉ お父さん今日もですか?ぁ”
“いいじゃないか他にやることもあるめぇ”
と母ちゃんが断り切れなかったワケじゃなくて(罰当たるな)

「戦争」や「飢饉」やその他諸々の『危機』があったせいだと思う
生命の危機に直面して人は子孫繁栄の能力に目覚めるっていうのは有名な話だ

弱ければ弱い動物程
たくさん子供とか卵を産む 大半が餌になる(死ぬ)からだ

現在メンタル面では世界一平和な(と言えるんじゃないか?)日本人は
世界で一番寿命が長くて
世界で一番セックスしない
というデータもあるそうな…
死ぬ可能性が低く「生き残る」のが簡単になれば作る子供も少なくていい という論理が成り立ってしまう…

12チャンでやってる「大家族番組」は統計的には例外になるんだろう 時代が違うとねぇ


などなど
知ったかブって書いてはみるんだけど
“行く末”
成るようになるんだろうし成るようにしかならないワケで…興味がないとは言わないまでもまぁ勝手にやってくれ的スタンスで僕は生きていて、
単純に
世界一寿命が長くて
世界一セックスしない
という数字の部分に
「平和」というものや「人間」という生き物の最終形を見て悟ったつもりになってしまうのだった

今が恵まれた時代だと年寄りが言うならきっとそうなんだろう…よ


そんなことより大事なのは今月の営業成績だ

人は形に例えるとギザギザに出来てると思う


顔が人それぞれ違うようにそのギザギザも個々で違っていて、その違いを個性と呼んでいるんだと思う


自分のギザギザと上手く合致する相手は“友達”とか“恋人”という存在になっていく


時には自分のギザギザの形を相手に合わせて変えてみたり…
頑なに変えなかったりしながら人間関係が築かれていく


時々どうしてもギザギザが噛み合わない相手も出てきてしまう…


たまには答えとか出さずに放り出してみますかね…



絵本

「僕を探しに」 シェル・シルヴァスタイン  より