昔から何度も書いてるけど今一度まとめとして書いておきたい…
そんな心境になった


大昔“ロングバケーション”という三流ドラマがあった(ゲツク、ゲツク)

主演の山口智子やキムタクやお洒落な?トレンディな(笑)?雰囲気なんかは別にどうでもよくて
物語の中心に流れている
“ロングバケーション”=「心の長い休暇」というものに僕は共感しまくっていた


《「何も考えない、何も始めない、何もしない」
をやる》


“人生立ち止まったら半分終わり
なぜなら、新たに走りだすエネルギーは今までの比にならない”
と思ってた僕にとっては目からウ〇コだった ウロコだった
何もしないことをあえて
“やる”と捉える価値観に脱帽だった…


どうしようもなく行き詰まって、悩んで、迷って、もがいて、誰かに相談しても解決なんか出来なくって…って時、“バーカバーカ”とか言いながらスネていた僕は救われたのだった
めでたしめでたし


とやっぱり簡単にはいかず…“なんっ にもっしない”は実のとこ難しい作業で
考えてしまうし、始めそうになるし、このまま死ぬまでロンバケが続くかもしれない という恐怖も拭い去れなかった
そのたびにワガママな自分を許してやらなきゃならなかった
でもまぁ
そんなゆる~いロンバケでも今になって思えば何かの助走にはなった気がする


余談
前に“頑張ってる人間にガンバレガンバレ言うなハゲ”
みたいな事を書いたけど…たぶんこの辺からきてると思う…


最近いろんなことが僕の周りで動きだしてケツの重い僕も動かなければならないらしい
この一年近く僕はロンバケだった
その間、禁忌を破っていろんな事を始めてしまったけど…それもゆるく許してやろう 俺め


すっっっかり忘れてた
人生創作

「毒蛇は何で噛み付くか知ってるか?」


と幼い僕に爺ちゃんが聞いた
首を横にブルンブルン振る僕に爺ちゃんは

「毒蛇にとって大きな毒の牙ってのは口の中にあって邪魔で仕方ないモノで
“噛み付きたい”というより何とかその邪魔な牙を“へし折りたい”気持ちでガブリガブリいくんじゃー」的なレクチャーをした


ヘビの気持ちは分からないけど大人になった僕は違うと知ってしまう
“へし折りたい”なら固いモノに噛み付きゃいいのでは…
いや待てよ?
これは何かの例えか哲学じゃないか?

と思ったのが発端で今では僕の中に根付いて考え方がある


例えば僕は曲を創る
曲にしたい事柄というのは“誰かに聴いてもらいたい”とか“理解してもらいたい”とか“認めてもらいたい”とか…
でも大っぴろげに言う事か?みたいな 心の中でくすぶってる想いがほとんどだ 何とか吐き出して楽になりたいと言うのが正直なとこ“曲を創る”という面倒でエネルギーのいる作業の大元になってると思う

僕は毒蛇だ
くすぶる想いなんて抱えていたくなくて
“この気持ちを曲にしたらもう曲なんて創んなくていいスよね?”と自問自答しながら
噛み付いて噛み付いて何とか邪魔な牙をへし折りたくってそれでもまだ“くすぶって”
を繰り返す

そしていつか本当に“牙”がへし折れたなら穴の中で敵に会わないように静かぁに生きていけるんだろう
もう噛み付かなくて済むんだろう



爺ちゃんが言いたかったかどうかは分からないけど…今はそんな風に思う


また だな


“自分らしさを大切に”
“自分らしさを忘れずに”“自分らしく生きていこう”

自分らしさ、自分らしさとはよく言うけどそもそも“自分らしさ”とは何かね?芳賀君


という事で
“自分らしさ”に関しては僕なりの答えがある
平べったく言うとやりたい事をやりたい様にやる 思いのままに生きる
って感じだけど

“じゃっ 人殺ししてもいいんだなっ 絶対だなっ 命かけるか?”
とか言うヤカラが出てくるかもしれないんで別の言い方を考える
いろんな言い回しを道草しながら探って結局行き着いたのは
“夢を追いかける”
という気恥ずかしい程シンプルなものだった

自分らしさ=夢を追いかける
間に何かはさむべきかとも思うけどまぁ僕が良ければ良いんだからこれでいく


夢について
“夢に年齢は関係ない”
と言う(大人が子供にサンタを信じさせたい心理なのか?)
“夢を見る”事に歳は関係ないとは思うけど
“追いかける”となるとメチャメチャ関係してくる

もちろんいくつになっても追いかける事は出来る
けど歳がいく程、難しく大変になってくる
これは踏まえておきたい
(いつもの事だけど…)


でまぁ夢、夢、言っても“宇宙飛行士になる”的な大それたものでなくて
「普通に結婚する」とか
「平々凡々に生きる」
みたいな夢でも本当に心の底から思う“夢”なら追いかけてる限り、それはすでに
“自分らしい”のだと思う
それに夢に限らず何かを「諦める」という事は
=「歳を取る」という事だ 諦めただけ歳を取る
偉そうな事は言えないし諦めざるえない事も多々あるけどそれは可能性を減らす行為とも言える
僕にとってはそれなりの覚悟がいる...


北野たけし氏が
「夢なんて叶うもんじゃねぇ 見るもんじゃねぇ」
と言ってた
それも一理あるとも思う
思うけど“考え方の違い”と言ってしまえばそれまでで…
“やりたい事”をガンガン実現している人間には「夢」と言う言葉を使わなくてもいいだけなんじゃないか?と
なぜなら彼が体現してるのはまさに“自分らしさ”だからだ


まぁ確かにマイホームを諦めたリーマンは楽しそうに見えるし
何も追いかけないことの“楽さ”もグータラな僕には魅力的に映るんだけども
でも同時に“面白くない”創造も出来てしまうのからそれは極力なら避けたいと思う


とかウンヌン書いてますが
僕は死ぬ時になるべくなら後悔が少ない方がいいと思ってるだけなので
あえて“夢”という言葉を使って“自分らしく”今までの後悔や、これからやってくるであろう後悔を埋めていきたいと思う

書いてしまった
なぁ