自分より先に相手から汚い部分や弱い部分やたぶん見せたくない部分や過去の傷なんかを曝け出されることに僕はめっぽう弱い…

“こやつ侍ぃ”
とか思わされる

みんないろんなモノを抱えて生きていて
本当は辛いのに毎日笑ってたりして
もちろん誰だって大なり小なりそういう部分はあるんだろうけど…

それを口に出して言えるって事(自虐的にではなく)、または態度で示せるって事はバッチリそういう自分と向き合ってるって事で…
僕は不覚にも反省させられるし 興味をそそられるし ちょっぴりジェラシーさえ覚える


逆に自分の良い所ばかり主張されると…
気の毒になる
自分の場所を確保しようとするって事は
自分の場所がないって事…しかもそれを悟られてるなんて…

と自分に言い聞かせる…



僕には心で“侍”と呼ばせて頂いている方が何人かいる 
ハートの強さに性別は関係なくて、歳も関係なくて、時々油断してると
“うわっ ボーっとしてると思ってたら あなた実は侍だったんだっ!”
と気付かされて返り血を浴びてしまう事がある ビシャー

僕にとっては“強がり”より“弱がり”の方が断然強いのだった


どこに行っちゃったか?ヒロシの事じゃないから…
研究発表!
注(音楽的な話が多いのでつまらないかも…です)

「切ない曲」
一言に“切ない”と言っても人それぞれ感じ方もあるしタイミングだし一概には言えないんだけど…
音楽的にはある程度答えが存在していて少々ガックシしてしまう

のだけどそれをまた突き詰めると最終的には人の“計れない部分”に行き着いてやっぱり安心するのだった…

(つまらなくなります)…その“切なさ”の音楽的答えってのは(たぶんたくさん見解はあるだろうけど)具体的に言うと
m7(マイナーセブンス)
M7(メジャーセブンス)
というコードの響きと使い方だ

このコードらは
メジャーコード(明るい響き)
マイナーコード(暗い響き)
という真逆の性質を持った二種類が同時に鳴っている(鍵盤で押さえるとよく分かります)

“明るさ”と“暗さ”
言い換えるなら
“楽しい”と“悲しい”
が同居すると
“切なさ”になる
かなり乱暴だけど僕はそう理解している

そもそも“切ない”という感情は複雑だ
例えば
「大事な人と別れたくないのに引き裂かれる」

それだけだったら悲しいで終わるのに…

「しかし二人の心はとても幸せでした」

と続くとなぜか切なくなる
これはm7コードとM7コードの成り立ちと同じだ
《「幸せ」+「悲しい」ドッキング!》


さらに!例えば“悲しい曲”はmマイナーコード(悲しい響き)だけでは成り立たない

“悲しさ”という感情は“楽しい”を知ってるからこそ悲しいからだ
良い想い出があるから辛い現実を「悲しい」と認識出来るのだわ

“悲しい”が“切ない”と違うのはきっとその割合だ
“悲しい”の深さに対して希望はどれだけ残っているか?

それがただのmマイナーを選ぶか“7th”を選ぶかの違いだと思う

「そこに希望があるか?」そんな気持ち一つで人生も変わってくるようにコード一つで曲もその性格を変えるんだと勝手に僕は思う


余談
ハードロックの世界では実のとこ結構“7th”は無視される
ライヴ主体でコードの押さえ易さや勢いが重要視されるからだろう
それにエレキギターの歪んだ音は“7th”感を出し辛い
“切なさ”はかなりデリケートな代物なのね と

“7th”感(切なさ)をハードロックで出す時はよくアコースティックギターが使われる
この楽器は難しいけどキッチリ“7th”感を出してくれる
だから逆を言えばアコギ主体の曲には“7th”が多く使われている
と言える
と思う…



と我ながらつまらない話を書いてしまったけど…

切ない曲って
実はメロディと詩かな?
と思ってたりして…
知らない街で道に迷った時、
本当は一旦引き返して元の大通りとかに戻った方が良いと気付いても 僕は後戻り出来ない性分だ
戻るとしてもワザワザ別の道から戻りたい…
それが僕の“傾向”らしい…

迷って迷って“迷い”の上塗りを繰り返して30分で着く道のりを3時間くらいかけてしまう
雪山で遭難したら間違いなく2年後くらいに氷の隙間で発見されるタイプだ

間違いに気付いて全部辞めちゃって新たに別の事を始めるのは大して苦ではないのに“後戻り”だけは僕にとって難しい行為なのだ


「急がば回れ」でしたっけ?最初からそういう意識があればたぶんそう出来る でも途中で気付いてしまう自分の“いたらなさ”が許せないのよ きっと その時は…バーカ俺 みたく(自らにもドS)



昔、オーストレイリアへ行った時に初めて地平線というものを見た
えもいわれぬ“壮大さ”に圧倒されまくって
ついでに自分の小ささに気付きまくって
涙がボロンボロン出て…今思うと何でかは分からんけど
“よしこの果てまで歩いてやろう”
とかやめときゃいいのに何となく思ってしまって
ほぼ手ぶらみたいな状態でその“果て”を目指した事があった

最初は何もない、誰もいない空間が嬉しくて大歌を歌いながらオラオラと順調な旅立ち…
がっ!
その“果て”の遠さにほんの3~4時間くらいで気付いてしまう
“うわっ喉乾いた”
“そういえば何も持ってないよなぁ”
“ん?テカやばくね?”
とか思ってみるけど…どうしても来た道を戻りたくなくて、感だけを頼りにこれまた何となく帰路へ…
でまぁ何とか(命からがら)親戚んちに辿り着くワケだけど…
雪山でなくって良かった
じゃなくて
つくづく自分の面倒くさい“傾向”に腹が立つ出来事だった


前にも書いたけど僕はネガティブが服を着て歩いてるような人間だ
でもそこを何とか頑張って重箱の隅に残ってるほんのわずかなポジティブさを絞り出して言うなら
この“傾向”は「バックが出来ない車」ではあるけどそれは「前にしか進めない」という意味でもあるのだ …
前に進めばいずれどっかに辿り着く…

と強引に綺麗に


まとまってないか…