やっぱ人生、ロックだと思うぜ俺ゃ ベイベー

俺の見解でしかねぇけどロックってのはジャンルじゃなくて、ファッションでもなくて、威張ったりすることでも勿論なくて
「生き方」の事なのよオーマイベイベー


目先の損得じゃない 人生の価値を見いだす事だと思うのよ


辛くてもカッコイイと思う方を選ぶ事だと思うのよ


最後に分からず屋の部長を殴れる事だと思うのよ


間違いを恐れない事だと思うのよ


熱い事だと思うのよ


ある程度ゆるいことでもあると思うのよ


“やるべき事”だけじゃなく“やりたい事”をやる
事だと思うのよ


とにかく“大きい”ことだと思うのよ


とにかく“気持ちイイ”ことだと思うのよ



なのにそれが出来なくて…


叫ぶ!



俺は蒼いかい?


そんな自分に中指だ!
携帯電話

“ケイタイ”は持ち主の生き写しだと思う
その人間のあらゆるプライベート満載だ


“ケイタイ”を見れば交友関係の“交友”の数や深さはもちろん、
画像や着メロや登録サイトで好きなモノ、
メールの内容や書き方でその“人となり”まで分かる…
趣味思考や人との関わりが“まんま”目に見えてしまうシビアな代物だと思う


例えばメルアドを変える時、「こいつにゃ送らなくていいかっ」と思えば結構な割合でその相手とはそれっきりだし
逆にそれを期に誰かと交換すれば一気に距離を縮める事も出来る(まぁお互いの気持ち次第だけど)

今、大事な相手とかそうでない相手とか
人間関係がいつでもどこでもササッサと整理出来て
しかも第三者がハタから見て計る事すら出来てしまう画期的な道具なのだ


普段大事だと思ってる人とはどういう繋がりだろう?具体的には“ケイタイ”だけで繋がってる場合が多いんじゃないか?
もし“ケイタイ”がなくなったら…どうするだろう
で“大事度”が計れる

アドレスなり番号なりを聞かれた時、
“教えちゃおうかなぁ”と思うかどうかでその時点での相手への気持ちが計れる

「便利にはなったけど人の繋がりが希薄になった」??とか
「話は相手と面と向かってするもんじゃぁ」
とか どっかの年寄りみたいな事は思わない
“ケイタイ”は僕にとって分かりやすくて気持ちイイくらいなんで…
合ってるんだと思う


人生には何度か
“こいつぁダメだ”と誰かに見切りを付ける時があったりする

「メモリーからアドレスを削除する」

という行為は自分に対して良いポーズになると思う
“消しちゃったから後戻り出来ません”
と…


そして僕の生活も例外なく“ケイタイ”に頼ってるのだけど…
実のとこ今の仕事を辞めたら何とかこの“ケイタイ”君とはさよならしたいと思ってる
こいつは僕と人との架け橋だし、邪魔になるワケじゃないし、結構イイ奴だし、合ってるんだけど
僕の思う僕にしてくれる道具じゃない
イエデンでイイヨ

と更に未来の僕は同じ考えでいてくれるのかねぇ…
何か新しい事を始めると必ず壁が立ちふさがる

でもそれは当たり前の事…
例えば料理を始めるとしたらまず包丁の使い方やら買い物の仕方やら
料理以前の簡単そうに見えてたモノから苦戦を強いられたりする

パソコンだってまずアーカイブやウィキュピュディア?の意味が分からなくていきなりやりたくなくなるし
ギターだってFが押さえられなくて粗大ゴミにしそうになる

考えてみれば、それらは最初からそこにあったモノでワザワザこっちからぶつかって行ったがために自分にとっての「壁」になっただけ

逆に何も始めなければ壁にぶつかる事はない
と言える

“壁にぶつかってる”ってのは成長しようとしてるって事なんだろう
(と捉えるのは僕にしてはポジティブ過ぎて荷が重いけど…)


そして覚醒した僕はガンガン曲を創り、やっぱり苦戦して辞めたくなったり…の毎日だけど 
間違いなく新しい日々がやって来ていると感じる

そんな僕には次々といろんな事が勃発!
どっちかと言えばあんまり良くもない事が…

予想してたとは言えボディーブローの連続に多少萎えて
弱い奴特有の
“かかってこいや!オラー”的姿勢も崩れそうだけど…

良い事とか良くない事なんてモノも感じ方、捉え方次第だ
とまとめてみるわ
今回は…

あら?愚痴?