映画「スラムダンク」が大好評大絶賛のようだ。


私も好きなアニメなのだが、こうも誰もが満足している傑作などというものは、逆に観たいという気持ちが失せてしまうのだ。

世間一般の感覚に共感共鳴しに、時間と金を費やすほど私にはボランティア精神や余裕は皆無である。

ならば公開前のアンチのような


フルCG?CV総入れ替え?

バッキャロー!


のままで、どうかこの老害の思い出を変えないでほしい、だから観たくない。観なくていい…


そもそもあの時代の、セル画アニメーションの、雑な感じが私には合っている。


1990年代、井上雄彦先生も「ターちゃん」の徳弘正也先生、「剣心」の和月先生、もちろん鳥山明先生や桂正和先生など、原作の画力が半端なく素晴らしかった。

なのでアニメ化は、どれも正直劣化していた。


しかし毎週ジャンプやコミックスを買えず、指を咥えていた小学生にとって、ストーリーが最初から追えるというメリットは大きかった。


インターネットが普及したこの令和時代は…

数あるコンテンツの中で虫眼鏡にタイトルを入れれば、指一本で観れてしまうのだ。。


そして声優さんのキャスティングや、挿入歌主題歌、BGMや効果音などは時代が変われど大事な要素のままだ。


令和の「うる星やつら」など、昔と寄せている。

古川登志夫さんなど、あたるの父役で、平野文さんはラムちゃんの母役である。


そして留美子先生作品の王道擬音語、


ちゅどーん!


みし…

など、そのまま文字が画面に現れ、声優さんが喋る!


まさに斬新かつ古参のツボ点くプロデューサーの手腕よ!


ビューティフルドリーマーにまではならなくても、ノスタルジジババでいいのだ。



宮城リョータのサイドストーリー?

結構じゃないか


しかし私のスラムダンクは…


好きだと叫びたい人を思いながら聴くせつなくて軽快なオープニング曲で始まり


ロックなBGMの中、メガネくんの声で前回までのあらすじが話され


オーヴァー・ドライブがかかった

メジャー、アドナインス、サスフォー…

の小粋なギター・リフレインのサウンドと

草尾毅さんの放つチャプター・ボイスから


その世界が終わるまでは、この目と心は縛られて動けはしないのだ。



それでいい


老害でもいい



この歳になって、篩にかけ

古いものでも、自分が奮いたつものがあれば


それを愛し、苦難に立った時にフォローされていける人生ならば、いつでもその時代に戻れる。


心も身体も、



絶対に、誰も。


中学3年の頃、ペニシリンというロックバンドがカッコいいという以上に、もはや惚れ込んでいた。

ハッキリ言って、ボーカルのルックスが良かったからだ。曲というよりボーカルの声がクセになるのだ。

詞などまさに二の次。


ブルーハーツの歌詞の熱さ素晴らしさを語る友人よそに、今考えるとなんとミーハーで気色わるい。

例えば、当時オフィシャルのポスターや特典付きCDなど買えるような身分ではないので、彼らがパーソナリティを務めていた深夜ラジオ放送をカセットテープでタイマー録音したり、夏休みに親に懇願し、書店で手に入れた一冊のバンド・スコアのグラビア・ページをモノクロ印刷し、自らの手でカラー装飾し、部屋に貼っていた。

ある意味アートだ。

発想や想像力が養われた期間だった。


シングル曲「ロマンス」で一躍有名になった彼らの存在は当時の自分が描く理想や夢の形でもあったので、手探り我武者羅に楽曲をコピーすることは苦ではなかった。

とにかく愛してしまった。ファッション、髪型、ラジオでの声、キャラクターすらもコピーしようとしていた。


いわゆるヴィジュアル系バンドの括りだったので熱狂的信者のような女性ファンが音楽以外の価値を見出し、ライブに皆勤したりお布施のようにグッズをコンプ、コレクトするのとは少し訳が違った。

負け惜しみではない。



彼らの存在は自分たちの夢やライフスタイルに、確かに常にあったのだ。


もちろんルナシーやL'Arc〜en〜Cielなどもその対象ではあったが、どちらもスケールがやや大きく遠すぎていたし、ボーカルが私の好みのタイプでは無かった。



ペニシリンのボーカルは長身の美しく麗しい、中性的な…まるでそう、ベルサイユに咲き誇る


オスカル・フランソワである!


そして…そのロマンスの相手は

「愛に 気付いてください 僕が抱きしめてあげる」と、


傍らでオスカルの影となり、激しく黒髪を振り乱す、同じく長身のギタリストはもちろん…


アンドレ・グランディエ!



…もうこの2人だけでも充分絵になるのだが、
アンドレの逆サイドには、もう1人いた!


3人目の重要キャラクターはお分かりだろうか。


長身のベーシストは凛々しく整った風貌で、その紳士のクールさは北欧の騎士を思わせる…


これで揃った、オスカルの初恋相手だ。


アクセル・フォアン・フェルゼン!



…あぁ、そういう事か。


サブリミナルか!


…どうりでこの歳で、ベルサイユのばらの世界が視覚的にも、温度的にも心地よい感覚がしたのだ!


もはやティーネイジャーの時の刷り込みに他ならぬものだ。



ペニシリンというロックバンドは、25年も前に既に私の美の観念を形成し、不動のものにさせていたと言うのであろうか?





その後私は高校生になり、ジギーやボウイといった、ペニシリンより少し上の世代のロックバンドに傾倒してゆく。

そして、ジギー・スターダストとなったデヴィッド・ボウイに遡った。

70年代ロンドンのグラム・ロックスターは80年代、ローレンス少佐として世界の銀幕で、坂本龍一教授と禁断の接吻を交わすのだ。



ここにきて私が言いたい事は、


「さて、仮面の告白を読み始めるには良いタイミング哉…」

文豪・三島由紀夫の代表作のひとつ、「金閣寺」


2週間ほどでもう半分以上読み進めたところだ。


文学部でありながら殆ど初心者の私ですら、面白さを感じることができた。


舞台は終戦前後の京都だ。


戦禍に見舞われず禅僧としての修行生活を通し、少年は青年となるべく様々な苦悩を、運命を、呪縛を、自らの障碍と欲望と金閣寺という完全なる美を切り口に、全てを絶望的なまで渇望した溝口という男の手記体としてストーリーが描かれている。

因みに、私はまたしても登場人物を、とある漫画家先生のタッチで脳内舞台にビジュアル可視化していた。



それは巨匠・高橋留美子さん風だ。


主人公・溝口は丸刈の憂いのあるあまり特徴の無い顔。


友人・鶴川はピュアなので「うる星やつら」の綾小路飛麻呂(通称・トンちゃん)


目が輝いているのだ。


悪友・柏木は冷酷でニヒル。

「らんま1/2」の狂気な凶器使いの中国人、ムースだ。彼は呪泉郷に溺れて、ガチョウになるのだが、柏木の特徴である内飜足歩行に、偶然と通づるものがある。私的にだが。


他にも、クセのある老師はまさに「うる星やつら」の怪僧はまさにチェリーこと錯乱坊だし、溝口の母親は諸星あたるの母にみえた。

ほかの若く美しい女性たちも「らんま1/2」の久遠寺右京など思い切り関西訛りだし、名前を忘れてしまったが5円玉の女教師もいた。

「めぞん一刻」の朱美さん、こずえちゃんなども私の「金閣寺」のキャストであった。。



さて、
第8章ではまだ溝口は金閣寺を放火していない。


いよいよクライマックスだ。。


仏教用語や寺院の細かな建築用語を字体からイメージするのだが、なんとなくの理解でも大丈夫だろうか。少し不安だ。



それより、溝口も、柏木という男からも、厨二感バリバリの世相論が繰り広げられるのだが、「痛々しさの直前の反射」とでもいえる感情に近い。


つまり京都や金閣の表現が麗しく美しく、しかしふたりの身体障がいを持つ男たちにより、真紅の花弁と荊棘のある躯形をもつ、まさに薔薇のような文体なのだ。

触れようとするだけで刺さりそうで…



これほど三島由紀夫に描かれるべき世界観の状況はないだろう!



いや私の稚拙かつ陳腐な評論などは尊ぶべき植物には類しないことも承知だ。


私はこのマスク規制緩和のもと、座席に充分なディスタンスを作り、弱者に配慮する気配のない、老若揃ってスマートフォンと睨めっこしている「ゆとり時代」に生きる現代人ひしめく通勤電車内でこのように、ただ自己満足しインテリぶっているのだ。



しかし、頭の中は高橋留美子先生の「るーみっくワールド」である。


非常に滑稽であり、誇らしくもある!




読み終えたら「仮面の告白」に挑戦しようと思う。


これまたLGBTを、既に半世紀前に描き、センセーショナルの種火となった三島由紀夫の著名作である。



うむ…なかなか高橋留美子先生には無い世界かもしれないが、どうだろうか。。