だいぶ久しぶりになってしまった。

不惑の40歳突入し、来月で一年を迎える。



春に心機一転を試みた転職は失敗に終わっていたことをここで告白する…


しかし新たな分野に挑戦したことに後悔は無いし

一念発起した資格取得の関係ですぐに仕事が決まった。


履歴書なぞ黒く塗りつぶしたとて、自らの心身を保ち、家族を守るため…


とはいえ、

数日はストレスで失神しそうになった。


そこで巻いた種と共に拾ってくれた神に、もう迷いなくこの身を捧げる覚悟だ。



ほかにも、余計な選択肢は切り捨てなければならない状況となった。


しかし不思議と余裕なのは、焦りや諦めではなく

悟りを、開き直って行こうか。


変な話いま、ピークに向かっている感覚がある。



世の中の誰も、全ての真理はわからないわけで

価値観やデータも時と共に変化している。


私の手の内のカードや引き出しなど、いつ通用せずに廃れてもおかしく無いし、逆に無駄な繰り返しだと思っていたことが、功を成すことだってあるかもしれない。



なにより、やはり平和がいい。



闘うことももちろん必要なのだが、自分はそんな才能は無い。器も無い。と気づいた。

三島由紀夫やベルサイユのばらなどに嵌り

文学や歴史に熱くなるのは私の勝手だし、イタかったとも思わない。


しかし結局のところ、自惚れすぎていたし、なにかを変えねばならないと、暇を持て余し、一応難関と呼ばれる試験をパスした自信を殻回して失敗したのだ。



自業自得、因果応報だ。



数日の無職期間に、さまざまなスピリチュアル動画を視聴することで、価値観が矯正された気がする。



大袈裟だが、生まれ変わる前兆か?


頭髪の抜ける量が増えたと、風呂上がりに妻娘に怪訝な顔で指摘され始めてしまった…



これ以上生え際を後退させず、新しい自分に交代したいものだ!


この辺で



先日ついに…


約2年前に発起し取得を目指したある資格を…


仕事と家庭の合間時間を縫い、準備し、勉強に励み、年末に筆記試験をパスし、半年間の必須実習の最終日を迎え…


無事修了し、申請手続きするのみとなった!



妥協なき姿勢で全力で取り組み、充実感でいっぱいだ。


我が心中もこの初夏の嵐同様、暗雲立ち込める中、とことん吹き荒れるエネルギーが満ちている。


何より自分に更に自信そして、新たな資格という鎧を身につけられ闘志がみなぎる。



最初は義母からの勧めもあり、興味はあったが、勉強にさく時間が無いと思っていた。


しかし同じタイミングで、当時の仕事に対し限界と見切りをつけたのも大きなきっかけだった。


今思えばコロナ禍で世の中、閉塞し、身近な人にさえ疑心暗鬼となり、時にはいがみ合うことすらあった。


意識、価値観の違いにより、同調圧力や不平等なルールを強制させられ、時には世間では事件に発展し心を痛めた。



小学生は未だに「黙食」という、変換できない造語を強いられている…



大人は子どもたちの何を守っているのか?


自分たちの立場だけじゃないのか?



明らかに未来のことなんか考えられてない。



未だに不安や新たな悪き習慣だけが立場の弱い者に対し、立ち込めてるだけではないか。




さらにメディアではそんな「マスク警察」「自粛警察」という履き違えた正義を振りかざす輩や、もはや気がふれたと言っても過言では無い承認欲求、「バイトテロ」など摩訶不思議な言葉が行き交うほど、過剰にストレスに晒された。



…1990年代以降、バブル崩壊後景気最悪のまま賃金低下に物価上昇に至り、更に昨今共産勢力国家が世界を震撼させてきており


社会科で学んだコールド・ウォーを思い出させ、ワールド・ウォーの脅威に怯えて、


さらにこの国は!政教分離と学んだはずなのに政治家は献金目的で宗教団体と癒着しており、そんな与党のトップは親子で政府官邸を忘年会と称し悪ノリの場としていることに怒りを覚える。。


「仏」と書く国、フランスでは200年前の革命魂を燃やすかの如く市民が結集し、デモが行われているが!


我が国では誰もが疲れ果て、闘う意志がなく…


お上の連中にとっては絶好にやりたい放題だろう。税金でたらふく私腹肥やしてるわりに自分たちに与えられた仕事すらできない。


ストーカーにセクハラモラハラ、記憶にございません。


…もはや、国を滅ぼしているようにもみえる。



つまり政治家もフリーターもこの時勢、容易にテロリストと化すのだ。



そして現実、それを更にネット民が監視し、無菌化されたような不自然な異様な秩序に1億人が振りまわされるという現実を知った。



そんな人間が、

ヒトの心が、

1番怖い。



誰もがコミュニケーションに怯える悪循環を生み出す。



更に、震度4以上の地震が立て続けに起こり、天災の前に我々は更に無力を感じることすらある。




正義とは何か…



力強さとは…



電車で誰もが見て見ぬふりをしてる中、正義と勇気を出した高校生が、オラついたホスト風情に土下座させらるような光景があったとして



果たして今の私はどう行動しようか。



めんどくさいと関わらないことが安全か?



逆ギレされて怪我させられるなら、仕事や家族のために何もしないのか?




それで、我が子には正義とか説教垂れると思うか?



大人ってなんだ?




達観してるのか?冷めてるのか?





とりあえず私は…




与えられた仕事を淡々とこなそう。



今の仕事

職業として、自覚と誇りを持ち


職人として、技を磨く。




そんなわけで

'90年代アメリカでアコースティックなバラードを一発ヒットさせた、ミスター・ビッグというバンドのベストを毎朝聴いている。


ブルージーなアメリカン・サウンド

ロック・キッズにとってリスペクト確実な演奏テクニック…



彼らの音楽に対する姿勢こそ


文字通り

MR.BIG、そう「大人」である。


ブログのカテゴリーを、「文学」から「活字」とする。


理由は今年度から仕事面で新しい挑戦をしている真っ最中である故、本当にゆっくりと本を読む暇がないのだ。


音楽など、話の材料が尽きることないが、文学と言う芸術はまだ足のつま先を踏み入れただけに過ぎなく、自ら能動的に小説などを読んだのはおよそ10年ほど前、吉川英治氏の「三国志」だった。

30歳になりたてのころで、大学時代私は英文科であり、仲良くしていた中国文学科の友人と月1ペースで飲む機会が当時あったのと、横山光輝先生の漫画など元々の興味があった。


更にその時期、今の妻となる女性に、いちど交際を断られている時期でもあったため、ハート・ブレイクから自暴自棄になっていた。



何か自分自身を今一度戒め、律し直さなくては、と漠然と思っていたのかもしれない。


とにかく今年に入り、読んだ三島由紀夫短編集を2冊ほど、各話感じた感想を、小出していこうと思う。


まずは、こちらだ。


16歳の処女作、「花ざかりの森」


数日で読み終えられるものだったが、隙間時間に読むにはちょっと追い直すのに、この40年もののオペレーション・システム内蔵の脳では多少ロード時間かかる。

つまり、さすが耽美派と呼ばれる程に美しい!
活字の羅列に酔いしれる。


とはいえ、そんな自分に酔ってるだけかもしれない。

だからやはり通勤中の電車とかでカッコつけて読んでいた。

まだ100%マスク風潮漂う通勤電車内は、それぞれスマート・フォンで、
女性は主にルッキズム溢れるバエ画像やアイドル動画を、
男性はモエ動画やフラストレーションを発散すべくドラゴンにパズルをさせ豪快に連鎖消化させていた。

そんな中で書物を読み耽ることは、少し滑稽で、集中したり想像するのにちょっと頭使うけど、眠くなることはなかった(失礼だが吉川英治氏の三国志に比べて全然だ)
ストーリーを追えてないかもしれない、という不安がありつつも、あとから意外と繋がる。

語弊を承知で所詮16歳、限界もあるのか。
美しくしようとしすぎるところをさめた視線で読むと逆に深く入ってくる。


活字から感じるこの快感、面白み。

自身こういう読み方が合ってる気がする。

とりあえず、我が脳裏に描く平家物語の一部、スペイン、南の島の記述。貴族目線の美しさ…


YouTubeやVR、AIなどとは比にならない世界を導いてくれるものが文学なのか。

シンギュラリティを迎える時が来ようとも、私はこれら人間生来のイマジネーションが、機械的なシミュレーションやアナリティクスにより、どこかイミテーションなものにならぬようになる事を願うばかりだ。