人生いろいろ。 | 海外転々転校記 * インターナショナルスクール8校転校した大学生長男とグレーゾーン凹凸次男の海外転校記録

海外転々転校記 * インターナショナルスクール8校転校した大学生長男とグレーゾーン凹凸次男の海外転校記録

マレーシアからロシアのモスクワ→上海→のち6年ぶりのクアラルンプール再上陸後アジアの片隅x2へ。8校目のインターでIBDP取得&卒業後に大学に通う長男と、グレーゾーン凹凸高校生の深海魚成長記録。子供の習い事バイオリンや英国王立音楽検定ABRSM受験記録も。

先週は何かと細かく忙しい一週間で、
陽澄湖でひいた風邪も手伝い、
頭がボーーーーーーーーっとしているままに
気がつけば一週間が過ぎていた。。。。

ところで。

先日、ワケ有って
こちらの病院で臓器移植をしたご家族のお見舞いに行ってきた。

患者さんはまだ2歳にもならない小さなお子さんで、
生まれつき煩っている病を治すには家族からの臓器移植しか
他に道はないというわけで、
はるばる南の国の支援団体から援助も受けての上海上陸だという。

なぜにわざわざよりにもよってはるばる中国大陸での手術かというと、
支援団体からの援助だけでは、医療費の高い隣国、シン○ポールでは
治療が受けられないからだ、とのこと。

当の小さい患者さん自身は移植後の集中治療中でお会いできなかったのだが、
臓器提供を行ったという小さい患者さんのお父さんには
お会いすることが出来た。

まだ若いご夫婦で、下にまだお子さんがいるのだが
国元に残るおばあちゃんその他親戚一同に託し、
お父さん自身、は自分の臓器の20%を提供するために
開腹手術を受けたため、まだその傷口が癒えておらず
直角姿勢でしか座れない(寝転がると痛い)と仰っていた。

痛いながらも、
自分の子供さんが無事手術を終えて
経過も良好だということで、
言葉もあまり通じず、勝手も違う外国にいながらにして、
笑顔を絶やさないお父さんとお母さんでも有った。

お父さんはあと1週間後には退院して国に帰れるけれども、
お母さんは入院中の子供とともに
あと3ヶ月ほどは見知らぬ国で過ごさなければならないという。


・・・


その数日後、
婦人会メンバーの一人が突然帰国しなければならなくなり、
急遽、送別会が開かれた。


その、急遽帰国せねばならなくなったお母さんは3人の子持ち、
つい3ヶ月ほど前に第三子を出産したばかりで
これまたまだ若く元気なキャリアウーマンなのだが、
上海にはご主人に帯同する形で来ていたので、
ご主人の海外勤務は期間延長を申請したため延長されたのだけれど
ご自分の勤務先への無給休暇延長申請を出すのを
すっかり忘れてしまっていたために、
無給休暇期間が終了する今月半ばから
即、出勤しなければならなくなったという。


つい数日前に、もといた職場から「出勤命令」が届いたので
とるものとりあえず職場に報告書を提出すべく帰国し、
こちらの小学校低学年に通っているまだまだ小さい子供達2人は
ここで働いている父親のもとに残し、
ご自分と生後三ヶ月の赤ちゃんだけ連れて帰国することにしたそうだ。


・・・・・・・・・・・



どちらのケースにしても
ワタシの中のニッポン人的な部分では
「えらいこっちゃ!!」という驚きと焦りと、
何とも言えない複雑な感情が入り乱れて
適切な言葉さえも思い浮かばずに悶々としてしまうのだが、

一方で、

例の南の国のゆるやか~な人々を目前に
話をしていると、
『こういう事も、有り、かも、知れない』・・・と、
妙に納得させられてしまう自分もいたりする。

送別会の席では、
婦人会メンバーの皆も、急遽帰国するお母さんを責めることも
非難することも陰でうわさ話を流すでもなく、
暖かく見送っていたように思う。

南の国のゆるやかさには度々、
難儀させられているココロの狭いワタクシではあるけれど、

こういう時のフトコロの広さというのか、
みんなちがってみんないい、的な
広い受け止め方が出来る緩やかさというのは
見習いたい面でもあり。

マイペースを崩さず、
良くも悪くも、ゆる~く。

悪く作用する場合も多いけれども、
良い具合に作用する場合も、有るんだな。


人の人生は色々あってしかるべき。
一つの物差しだけでは測れないもの。

色々大変だなあと思う中でも、
彼らの穏やかな顔をみていたら
南国もなかなか捨てたもんじゃない、(かもしれない)、
と思う自分が居りました。

(アア意味不明)

クリック応援、ありがとう♪



今日一日の健康に感謝!