白隠が完成すれば 達磨大師 臨在義玄 蘭渓道隆 無学祖元 宗峰妙超 一休宗純 白隠慧鶴ということになる。先日最古の禅寺である福岡の聖福寺で坐禅をしたことのある人に何で私が禅宗をモチーフに?といわれたが、こう並べてみると、ただボーッとしていたつもりはないけれど、確かにいったい何をしでかしている?という気がしないでもない。草木同様自然物たる私の、丹田辺りのもう一人の私の仕業であり、私自身は針金を曲げた水脈探し用ダウジングロッドに過ぎず、何でといわれても。 高校の時に鴎外の『寒山拾得』を読んだ。二人が笑いながら唐突にどこかへ行ってしまい二度と帰らなかった。この結末がずっと残っていた。帰って来ていたら、こんなことになっていなったかもしれない? この期に及んで貴重な時間を使って、単なる酔狂で出来るものではないだろう?とラインナップを眺めて。