こちらに越してからコロナ禍になり、形の上では幼い頃夢見たどこかの王様に石の塔に幽閉され、ここで一生好きなことだけやっておれ状態だった。岩壁に向かって坐禅すること9年で手足が腐り取れてしまった達磨大師、というのは衣に覆われ手足が描かれなかった達磨図からいわれるようになった日本だけの解釈らしいけれど、根っからの散歩嫌い。坐骨神経になったりとすっかり足腰が弱ってしまった。越してくる前は自転車を電車で運ぶ輪行をやったり、荒川に釣りに出かけたりしたものだが。今度の引っ越し先は荒川も近い。釣りにでも出かけようか、と書いていて思い出した。荒川の土手で釣りをしながら昼間から寝転がっていたら何かしら鳥が頭に。慌てて振り払ったが、頭に鳥が止まるようではおしまいだ、という気分に陥り、一匹も釣らないまま飲みに行ったのを思い出した。考えるな感じろでいると、草木同様の自然物たる私がしていることだから、と反省することなく笑っていることが多い。これもいかがなものか。反省するのも今のうちだろう。