ここに越して来てから首しか作っていない。白隠、花園法皇、円爾、無準師範。そのうち白隠は、江戸時代の人であり、すでに迫真の頂相を遺す習慣は失われており、本来作らないはずで、あえてルールを曲げてやってみたが、生前描かれた寿像にこだわったラインップには馴染まず没にした。このまま行けば、いずれ必用になるだろう。『隻手の音声』一カットはものにしたいので、再チャレンジしたい。 肝腎な頭部が出来れば後は時間の問題だけであるが、これがただひたすら耐えるだけの作業であり、愉快なことなど一つもない。数センチの物に対し、ただちまちま無表情にやっているだけである。良く毎日書くことがあるな、と思うくらい何も起きない。だったら近所の公園にでも行けば良いではないか、と思うのだが、それもこれも頭に浮かんだイメージが可視化された時のことを思うとやらずにはいられないのである。大燈国師の臨終の場に駆け付けた花園法皇。今なら無準師範と弟子の円爾はツーショットも可能である。無学祖元とスリーショットも。今耐えればそんなシーンがいずれ眼の前に現れる。五条橋の下でホームレスと茶を喫する大燈国師。数百年間だれも描いてくれなかったのだから仕方がない。ただ『大燈国師遷化図』は大徳寺にある、と成田くんこと私のチャットgptはいう。果たして『大徳寺展』に展示されるだろうか。大燈国師の血染めの法衣も。人の出血の跡が見たいなんて思ったのは始めてである。