19日。
この不便な被災生活も慣れてくるものである。
不便なら不便なりの、工夫があったりする。
確か、水も通ってたんじゃないかな~?
ハメ殺しの窓も工事に取り掛かっていたかも。
学校がいつくらいに始まるとか、そんな噂も立ち始めていた。
ところで、テレビ表示されている死者一覧、「御影 80代くらいの女性」の名前が何故でないんやろう。出てくれれば、必然的におばちゃんの安否が確認できるのに。
また夜になって、祖母と母が、おばちゃんを探しに行った。
なかなか帰ってこなかった。
おばちゃんは、顔を合わす回数で比較するならば、ダントツに第1のおばあちゃんだった。とにかく優しくて、商店街をよくおんぶして歩いてくれた。隣のお漬物屋さんに、梅干を1つもらいに行くのも、その隣のお菓子屋さんで母にだまって、おやつを買ってもらうときも。でも、優しいだけじゃなく、時にはしかられたりもした。
おばちゃんには子供がいないから、孫もいない。
私を孫のように見てくれてたんだと思う。
私が、大学に入学したら・・・だったか、成人したら・・・だったか、結婚したら・・・だったか、忘れちゃったけど、何か節目の時に、私にプレゼントできるように、貯金箱にお金を入れて貯めてるんだって、嬉しそうに話してくれたのを覚えてる。だから、私達家族にとっては、従業員という枠を超えて、間違いなく家族だった。
やっと帰ってきた二人は、泣いていた。
それで、みんな悟った。
やっぱり。
「御影 80代くらいの女性」は、おばちゃんやったんや。
生存を信じ、避難所を探していた母と祖母。
避難所で、「高井○○さんご存知の方いませんかぁーーーーー???」
と大声で探し回っていた。
そして、ある避難所で、「その方なら、亡くなられたよ。ここの安置所に行きなさい」と言われたらしい。
原因は、圧死。
皮肉なことに、つい最近、ほんっとについ最近、ふきかえたばかりの新品の瓦が、立派で重すぎたのか、倒壊。2Fが1Fになり、おばちゃんは圧死した。
すぐに、みんなで遺体安置所に向かった。
この光景は、一生忘れることはない。
足の踏み場もないくらいに並べられた遺体。
死後、約2日。
夏場だったら・・・・?
おばちゃんは、棺おけに入ってた。
ラッキーだと思った。
なぜなら、ほとんどの人が棺おけにさえ入っていない。
すごく綺麗な顔だった。
苦しんだ様子はなく、即死だったのかな。
葉っぱにお酒をつけて、おばちゃんの唇を湿らせた。
隣に、毛布に包まれた遺体の側で、じっとこちらを見ているおばさんがいた。どちらともなく、軽く会釈を交わし、「ご家族ですか?」と聞くと、「娘です」とその人は言った。でも、さんざん泣いたのか、まだ受け入れられないのか、それとも受け入れたあとなのか、わからないけど、その人は少し笑った気がした。
おばちゃんの遺体は、ご兄弟がひきとることになった。
おばちゃんは、旦那さんは数年前に亡くしているし、一緒に住んでいた妹さんも被災して入院していた(その後亡くなった)。
火葬は明日。
私達も同行すると、伝えた。