おばちゃんが、亡くなった。
震災の前日、会ったんだっけ?
もぅ覚えてないけど・・・、普通に「またねー」って言って別れた気がする。
火葬場に行くと、なんともう火葬が始まっていた・・・・。
信じられない。
待ってるって約束したのに。
私は、許せなくて、おばちゃんの兄弟に、「待ってるって言うたやん!」って言って、父か母に「もぉええから・・・」って止められた気がする。
祖母は、厳しい人だったので、「私に格好悪いとこ見られたくなかったんやろな。」って言った。
今思えば、仕方ないのかなとも思う。
次から次へと運び込まれる火葬場で、時間通りになんて行くわけないし、そもそも兄弟にとったら、おばちゃんと私達の関係性がいまいちつかめない。そりゃそうだ。
確か、次々焼くために、火力・・・温度?を上げていたような気がする。
私は、ずっとぶつぶつと言っていた。
それは、おばちゃんが、私の為に、ずーーーーーーーーーーーーっと貯めてくれていた、貯金箱のこと。
別に、お金が欲しいわけじゃなかった。私の為にって、置いてくれていた貯金箱を・・・というかその気持ちを、もらいたかった。
でも、そんなことも、兄弟に話したって、「なんで見ず知らずの子供に貯金箱を渡さないとあかんねん」って感じやんね。
で、母に、「本当におばちゃんが、あんたにあげたいって気持ちがあったなら、いつか何かの形で返ってくるんじゃない?」と言った。
だから、無理矢理納得した。
なんか、糸が切れたような感じがしながら、まだまだ続いた被災生活。
でも、実のところ、この一件以降、あまり記憶がない。
覚えているのは、祖母の知り合いの人が、自分の手で自宅を建て、その自宅が倒壊して、圧死したということと、近所の、陸上競技場を、陸上自衛隊が基地にしていたので、迷彩柄の大きいヘリが編隊を組んで飛ぶときは、轟音と、振動で窓ガラスがバリバリと音を立てていて、戦争ってこんな感じやろうか。って思ってたことくらいかな。あと、父のひげが、伸び放題だった。
それからガスも通り、学校も再開され、高校受験は面接が免除され、高校生になった。電車が全面復旧してなかったから、通学に2時間近くもかかって通った。
それから大学に通って、社会人になって、今29歳。
あれから14年か~。
早いなぁ。
冒頭でも書いたように、私自身は、この震災の体験を忘れず、語り継いでいきたいなって思ってる。
おわり。