時は巡る | かけがえのないゴルフ人生

かけがえのないゴルフ人生

DGA(日本障害者ゴルフ協会)の事務局長をしています。お給料はなし、24時間のボランティアです。たくさんの素晴らしい障害者ゴルファーからもらう勇気と元気が活動の糧。障害者ゴルフの活動と日々見たこと感じたことを綴ります。

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4月22日(金)

ロッテ葛西ゴルフで東京・首都圏支部主催のレッスン会を開催した。

今回で2回目。参加者はまだ少ないが、新しい人が参加してくる。日本障害者ゴルフ協会の活動にしばらく来ない方には、知らない顔が多いと思う。

毎月第2金曜日に行っている月例会もしかりで、最近はメンバーがだいぶ入れ替わった。

今後、支部活動がもっと盛んになれば、ますます知らない顔が増えて来るだろう。どんどん若い人が増えて欲しいな。

3年ほど前、障害が軽度な選手を世界選手権や海外遠征の選手枠から外したことがきっかけとなり、何人かのトップレベルの選手やそれに同調する選手が会を抜けた。

その直後は、日本障害者オープンゴルフ選手権を始めとする公式戦に出場する上級者が減って、一時的に試合が寂しくなったことがある。

事情をよく知らない人からは「これでやっていけるのか」などという心配も聞かれたが、私は案外、楽観的だった。だって、間違ったことは何もしていないのだから。

パラリンピックの正式種目入りを目指しているゴルフにも、当然、出場資格と障害レベルの問題は降りかかってくる。障害者スポーツなのだから、たとえ障害があっても軽度で健常者と見分けがつかない選手が出場しているのは好ましくはない。

日本の障害者スポーツ界では、身体障害者手帳を保持していれば、必ず活動に受け入れることを原則としている。しかし、障害が軽い選手には国内大会の出場は許しても、国際大会の出場は不可としている。特にパラリンピックの正式種目になっているスポーツではそうだ。

そんな背景と2014年に日本で世界障害者ゴルフ選手権を開催したため、2013年の秋から我が協会でも、障害者の軽い選手は国際大会の派遣選手枠から外したのである。

たとえ、何人かがこの考え方に反発して離れていったとしても、それはやむを得ないことであり、現在でも考え方はまったく変えていない。

去る人があれば来る人がある。

紆余曲折があっても、日本障害者ゴルフ協会の歴史は必ず若い人に引き継がれてゆく。

この先何年、活動に携われるか分からないが、代表や私がいなくなった後も会は立派に運営されていくだろう。

そう信じさせてくれるのが、最近の支部活動など新しい動きと新たに集って来る人々とそれを迎える人々の顔の輝きなのだ。