関西で大会を開催する理由 | かけがえのないゴルフ人生

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DGA(日本障害者ゴルフ協会)の事務局長をしています。お給料はなし、24時間のボランティアです。たくさんの素晴らしい障害者ゴルファーからもらう勇気と元気が活動の糧。障害者ゴルフの活動と日々見たこと感じたことを綴ります。



今年の秋の日本障害者オープンゴルフ選手権は兵庫県三田市の千刈カンツリー倶楽部で行います。

5月にゴルフ場とホテルを視察した記事はこちら

ちょうど第20回目の大会になり、宝塚ホテルで行う前夜祭ではこれまでDGAに貢献のあった方々を表彰するなど行事も盛りだくさん。記念すべき大会になると思います。

20周年と言うと第1回目の時赤ちゃんだった人が成人式を迎える年。数々の出来事があり、障害者ゴルフの歴史が紡がれていった大会でもあります。

さて、その記念すべき大会を関西で開催することになったことは大きな意味があります。DGAでは地方振興大会としてこれまでに沖縄、九州、四国、中国・・・そして一気に北海道に飛んで大会を開催してきました。

日本障害者オープンゴルフ選手権も最初の10年間は栃木県日光市にある同じゴルフ場での開催でしたが、千葉、茨城、栃木県の別のゴルフ場と関東地方の会場を回り、2013年には三重県、2014年には岐阜県で開催しました。

関西には20年間の間に一度も行っていませんが、これは特別関西を嫌っていたわけではなくて、ただチャンスやご縁がありませんでした。

ところが、数年ほど前からある関西在住の会員の方が非常に熱心に日本障害者オープンゴルフ選手権の関西開催を提案して来られました。それもただ「関西で開催して下さい」という口だけの提案ではなく、ご自分で開催コースを探し、交渉し、代表と私に提案して来ると言う積極的なアピールでした。



その方、Nさんは関西地方のある市の職員で、初めて日本障害者オープンゴルフ選手権に参加した時、「こんな素晴らしい大会をぜひ自分の住んでいる街で」と思ったのだそうです。

Nさんから最初に提案を受けた時私は、まさか彼が自分でゴルフ場を探し、交渉するとは思わなかったので「関西ですか、出来たら良いですね」的な通り一遍のお返事しかしませんでした。これまでも地方の会員さんから同じような提案を受けたことはありましたが、それらはすべて「事務局でゴルフ場を探し交渉して、私の住む街で大会を行って下さい」という他力本願なお話ばかりだったからです。

しかし、Nさんはそれから時間を置いてたびたび、同じような提案をしてきたのです。今考えると本当に申し訳ないのですが、社交辞令的なお返事しかして来なかった私。

でも実際にNさんがゴルフ場を探し、交渉を始めてからは「これはただ事ではない」と熱心に話しを聞き、協力を申し出るようになりました。

しかも、Nさんがターゲットにするゴルフ場はプロのトーナメントを開催するような本格コース、名コースばかりでした。

事務局から出したお願いは「乗用カートがフェアウェイを走れること」「きちんとした練習場があること」の2点だけ。それでもNさんの熱心な交渉にも関わらず何件かは断られてしまいました。やはり、障害者ゴルフはまだまだ世間に理解されていないので、わからないことはやらないというゴルフ場が多いのです。

正直なところ、いつNさんから連絡がなくなるのかとマイナーな展開を想像していました。でもNさんは諦めなかったのです。

Nさんの先輩が関係していたという千刈カンツリー倶楽部。50年の歴史のあるプライベートコースであり、関西の名門、関西学院の経営であるにもかかわらず、ここがオーケーしてくれたという知らせを受けた時も、正直なところ交渉の過程でダメになるのではないかと不安でした。

それが大変協力的で、総支配人と支配人が昨年の大会を視察にきて下さった時から、今年の第20回日本障害者オープンゴルフ選手権を千刈カンツリー倶楽部で開催することが現実的になりました。

現在、準備を進めていますが、いつにも増してワクワクしています。

5月の視察ではゴルフ場とホテルで、積極的に交渉を進めてくれたNさん。まだ会員になってからそんなに年月が経っていないのに、大会の流れを良く把握していて驚かされます。

一人の会員が、わが町で日本障害者オープンゴルフ選手権を開催しようと考え、実行に移し、私達と同じ視線で準備を進めていく。

こういう話しは過去に余りなく、うれしい限りです。将来的にDGA運営の世代交代をする時にもNさんのような人が何人かいれば、絶対安心ですね。

そのNさんと大会の指定宿泊施設になる宝塚ホテルの前で。