こんにちは。心理カウンセラー藤田大介です。

昨日は選挙でしたね。
皆さんは行かれましたか?
僕は午前中に投票を済ませ、そのまま外でランチ(餃子の王将でレバニラを食べました)。

帰宅してテレビをつけると、
チェコの独立運動の特集をやっていました。
随分前に見たことがあったので再放送。
かつてのチェコの国民的歌手マルタ・クビショバの歌う、もうひとつの「ヘイ・ジュード」が、旧ソ連の支配下にあった国民の支えだったという内容だったと思います。


昨日印象に残ったのは、旧ソ連軍の侵攻の最中ギリギリまで放送されたラジオ。その、リスナーへの最後のメッセージでした。

「チェコは必ず主権を取り戻す。だから希望を捨てないで」

ふと思いました。
選挙に、希望を感じられてるだろうか?


僕は毎回選挙に行っています。
それが義務であり、自分の意思を示す機会だと思うからです。
ですが、そうすることで何か変わるという希望は感じていません。

原発にしろ消費税にしろ、投票したからといって自分で決めたという実感は無い。
そして、何か変わったという実感も無い。

というのが正直な気持ち。


なので、
社会に関心があっても、こう感じるから選挙に行かない。という人がいても不思議ではないし、そういう人に、それでも行くべきと言えない自分がいます。

今回も投票率が低いの低さが嘆かれてますが、
社会に関心の無い人が増えてるだけでなく、
関心はあるが、政治に希望を感じていない人が増えているからではないでしょうか。


チェコの例もそうですし、
クライエントさんを見てても思うのですが、

希望は力になります。
困難に耐え、挑戦する力になります。


今回、与党が圧勝しましたが、
これだけ低い投票率である以上、与党にはこの結果を国民の信任と捉えて欲しくないです。

自分たちの政策を、悲願を達成できると喜ぶのではなく、
多くの人々に希望を与えるという重責を担ったと自覚し、
せめて社会には関心あるが政治には…という人達が希望を取り戻せるよう動いて欲しいものです。








こんにちは。雑草カウンセラー藤田です。

先日テレビをみていたら、
校庭を人工芝にしたという小学校が紹介されていました。
土のグラウンドだと、
「転ぶと痛いから」と子供が遊ばない為だそうです。

この番組では、さらに「男女の力の差」「危ないから」
という理由で当たっても痛くない柔らかいボールで子供達がドッジボールをする様子も紹介されました。


「痛くないです!」「思いっきり出来ます!」と笑顔でインタビューに答える子供達。

笑顔の子供達を見て嬉しい反面、不登校や人間関係に悩む若い世代のカウンセリングをしている身として
「これでいいのか?」
と疑問に思いました。

◆何の為の学校か
学校とは、何の為の場か?

それは、将来大人としてきちんと社会に出るための力を育む為の場です。親元を離れ、学校という社会の中で過ごすことは、大人になるための予行演習となります。

この視点を持つと、「便利・安全・快適」な学校は、かえって危険になります。
私には、これは、詰め込み教育や競争を子供達から遠ざけた「ゆとり教育」と似たものに思えます。のびのび育ったこの世代は今、社会でどう思われているでしょうか?


◆育むべき3要素
私はカウンセラーとして不登校や、学校・会社での人間関係に悩む方々と接しておりますが、その殆どが、大人の3要素が育ってないことが原因となっている方です。

3要素とは、「たくましさ・賢さ・優しさ」の3つです。

多少の困難にもめげずに立ち向かうたくましさ。
合う人合わない人含め、多様な人とうまく付き合う賢さ。
人に興味を持ち、率先して助ける優しさ。

この記事を読んでくださっている皆さんもご存知でしょうが、
大人になれば嫌な事、上手くいかない事に直面します。合わないと思う人とも付き合わなければなりません。

これらがない事を幸せと思っても、大抵は叶いません。
むしろ、こうした現実の中で上手く生きていくことが大切であり、そのために必要なのが上記の3要素です。


たくましさは、新しいことへの挑戦や、何かを我慢したりすることで養われ
賢さは、理想的でないにしろ与えられた環境で上手くやる、楽しく過ごすことを考えることで養われ、
優しさは、自分が傷ついたり、助けられたりする中で養われます。

土のグラウンド、当たると痛いボール。
当然痛いのは嫌だし、そうしたリスクは避けたいけれど、
それでも頑張ることでたくましくなるし、
怪我させたり、泣かせたり、そうした現場に居合わせたり。その中で怒られたりケンカしたり、誰かと気まずくなったり。その中で駆け引きや加減といった人付き合いの賢さや優しさを
覚える。


私も小学生時代、土の校庭でよく遊びました。
体が小さく運動は全般的に苦手でしたが、ひとりぼっちは嫌だと、みんなと業間休みに外に行きましたし、活躍することで貢献するのは無理だったので、皆んなの意見をまとめたり気配りをすることで自分の居場所を確保していました。怪我もよくしましたし、今も跡が残る大きなものも経験しました。(おでこに縫い跡が残っています)とても痛かったですが、助けようと頑張ってくれたり、お見舞いにきてくれたり、心配してくれたりと、沢山の優しさを受け、そのありがたみを知ることが出来ました。

皆さんも、ご自身の学生時代を振り返ってみると、こうした自身の苦しんだりした体験から、多くを学んでいらしたのではないでしょうか?


当然、命や後遺症のリスクのある怪我からは守るべきですが、やはり私は「行き過ぎた安全」は行けないと思います。

学校は安全快適な環境を与えるのではなく、子供達が様々な状況を乗り越えられるよう、褒めたり怒ったり、アイデアを与えたりすることがより大切ではないかと思います。
勿論、親の理解や家庭での子育てが肝心ではありますが。






DF心理相談所代表藤田大介です。
最近ニュースで取り上げられていた、英会話講師の過酷な残業による自殺について、気になったので今回は「残業」をテーマに書かせていただきます。

※ニュースの記事記事はこちら


報道によると英会話講師の22歳の女性が、持ち帰り残業月82時間、学校での残業を含めると111時間
という仕事でうつ病になり、自殺してしまったとされています。

過剰な労働は心身に多大な負担となります。結果今回のようなうつのみならず、パニックや神経症、その他様々な身体症状を引き起こす要因となります。
私自身、若い頃にスクール費用の為と毎月300時間近く働いていたことがありますが、その間に難聴を2度発症しました。毎日楽しく働いていたにもかかわらず、です。

ですので、長前提として期間の過剰な労働は避けるべきと私は考えます。その上で考えなければならないのは、「その残業は誰がやらせているのか」です。


◆会社が強いてなくても…
こうした残業や労働時間の問題となると、=会社が強制しているという前提の報道が多いですが、
この考えは正しいでしょうか?
私はそうは思いません。社会の流れもそうですが、実際私が相談を受けてきた事例からも思います。
過剰な労働に至った原因を大きく分けると、①会社に強制されたケース②人間関係等を気にしてのケース③自ら進んでのケースの3つに分けられます。

①は、時間であり、また本人の能力をはるかに超えた仕事を与えたりしている会社に問題があるケース。
②は、残業が普通の雰囲気があり帰りづらかったり、残業したほうが評価されやすかったりというケース。
①はもちろん②も、会社側の取り組み次第で改善出来るケースと言えます。組織のルールや雰囲気が問題となるので、このケースに関しては個人が出来ることは少ないでしょう。

◆本人が問題となるケースもある
ですが③は違います。求められてない事までやる事や、人の分までやる事を良しとし、結果過剰な残業をしてしまう。こういった方は実はとても多いです。根底には、「やらないと認められない」といった思い込みがあるケースが殆どですが、これはその本人が生まれてから現在に至るまでに身につけた考え方クセによるものであり、会社が労働環境を改善したところでさほど意味はありません。むしろ、残業や持ち帰りを禁じれば、本人が「認めてもらえない」と不安を感じることも考えられます。


◆企業はどう取り組むべきか
実際私がお会いしてきた方を振り返ると、①のケースは少なく、②と③の方が大多数です。
これはつまり、残業によるトラブルのリスクを回避するためには、労働環境の改善と、その組織で働いている個々人のケアの両方が必要ということを示しています。
社員一人ひとりが何をどう考え、どう感じているかを把握しケアするなり成長を促すなりという関わり方。企業には、管理職がこれを身につける支援やこうした力を持つ専門家の招くといった動きが今、必要と言えるでしょう。