石田衣良「心と身体を潤す楽園の泉のようなエロスが欠かせない」最新刊『MILK』電子版発売
直木賞受賞作家・石田衣良の最新刊『MILK』が、2015年10月16日(金)より電子版として発売が..........≪続きを読む≫
最近、週刊新潮と週刊文春が面白い。
両紙を読み比べたり、最近の各号を読み比べたりすると、面白いものが見つかる。
ほとんど流し読みしたので、細かいところが間違っているかもしれませんが。
基本的には、先週発売された2015年11月5日号について。
【】は引用です。
一つ。
登場人物は、福岡伸一(週間文春)と竹内薫(週刊新潮)。
福岡伸一は、日本の生物学者。
竹内薫は、日本のサイエンスライター、作家。ついでに、猫好き。
福岡伸一は、今週号の文春でのコラムで、肌の色や人種差別などについて語っていた。結論は、人類は一つの種であり、未来において、肌の違いで敵対し合うことなどなくなるだろう、というもの。
人種差別がなくなっても、いまの時点では考え付かないような、新しい問題が出てきたりするだけで、人間はそうは変わらないだろうに。
そんなことを思いながら、同じ週に発売された新潮の、竹内薫のコラムは、人工知能が人類を支配するかについてだった。
人工知能による、人類史の転換期ともいうべき特異点が、もう二、三十年後に迫っているという。その世界では、あらゆることに関して、人間は人工知能にお伺いを立てることになる。
私の考えでは、人工知能は人間を支配したりしないと思う。ただ、滅ぼそうとするだろう。
大勢の科学者が警報を鳴らしているように、人類史の危機がまじかに迫っているのは確か。人類が生存しているかどうかわからない、そんな未来において、未来の人類は肌の違いなんて気にしないのさ、なんて……。
福岡と竹内の、二つのコラムを読み比べると、福岡伸一の脳内お花畑ぶりが際立つ。
二つ。
こちらは新潮オンリー。
登場人物は、野口悠紀雄、辻野晃一郎、高山正之。
野口悠紀雄は、元官僚の経済学者で、ファブレス大好き。
辻野晃一郎は、『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』なんて、センスのかけらもない本を出した人。
高山正之は、元産経新聞の記者で、ジャーナリスト。
野口が新潮誌上で連載している世界史は、最近はずっと古代ローマ帝国の物語を書いてくれている。これを、古代ローマ帝国単独の話として読んでいると非常に面白いのだが、現代日本や、七十年前の戦争にあてはめたりするところが、無理やりすぎる。
カエサルは私費を投じて公共事業を次々に行った。必ずしも、私欲だけの人ではなかった。一方、現代日本では、田中角栄なども公共事業をやったが、私費ではなくすべて税金であり、私欲の人だった。
しかし、野口も書いている通り、カエサルが私費を投じることができたのは、彼が税収の全てを自分のものにしていたからである。税金全部が、カエサルの私費になるのだ。だから、公共事業も私費でやるしかない。
同じことが日本で可能だろうか?
田中角栄が税金をすべて自分のものにし、そこから公共事業に充てる。ありえない。不可能。
ところが、野口は、カエサルはだから私欲の人ではないといい、田中角栄はだから私欲の人だという。むちゃくちゃである。
田中角栄が、カエサルと同じように税金をすべて自分のものにできたら、そこから公共事業に当てただろう。他に金がないのだから、そうするしかない。だが、現代日本、どころか、世界中の民主主義国家で、税金全てを政治家一人のものにすることは認められない。田中角栄が私欲の人だというのなら、世界中の政治家も同じである。
なぜ、野口は、こんな無茶苦茶な話をするのだろうか?
カエサルの戦争と、七十年前の戦争を結び付けるのも、同じく無理やりである。
カエサルがゲルマン民族を平定し、なおかつ元老院との戦争に勝利することができたのは、寛容政策にあったという。カエサルは投降した捕虜を殺さずに優遇し、活躍すればローマ市民権も与えた。元老院との戦争のとき、敵軍の兵士数は二倍を超えていたが、そのうちの半数近くがカエサルに投降した。その数、実に二万である。カエサルが、捕虜を殺さずに優遇するという、寛容政策をとっていると知っていたから、敵軍はこぞって投降したのだと、野口は指摘する。
なるほど、と思う。
説得力がある。
話が、それだけならば。
問題は、カエサルの戦争と、七十年前の戦争を結び付けた上で、日本がなぜ負けたのか、敗戦後日本はなぜアメリカを受け入れたのかについて、むちゃくちゃな結論に達したことにある。
まず、旧日本軍は寛容ではなかった。
台湾では寛容だったかもしれないが、東南アジアでは寛容ではなかった。なぜなら、東南アジアでも戦後、反日デモが起こったからだという。
おいおい。
東南アジアはなんだかんだで中国との結びつきが深く、扇動されたらデモくらいはするよ。東南アジアで寛容でなかった論拠が、戦後にデモがあったからなんて、途端に説得力が無くなっていく。
その一方で、アメリカは寛容だった。
戦後、日本はアメリカに復讐しなかった。アメリカの文化も受け入れた。それはアメリカが、カエサルと同じで寛容だったからだという。
おいおい。
二個の原爆を落として三十万、東京大空襲も合せて百万人以上もの民間人を虐殺する国が、寛容って……。カエサルも「そんな国が俺と同じだと? この日本という国にいるバカ者は、何を言っているんだ?」とびっくりするだろう。
それだけ大量虐殺され、憲法も押しつけられ、軍隊を持つことも禁じられた。復讐のしようがありませんわな。
野口は、旧日本軍は悪いことをしたが、アメリカは寛容政策をとっており素晴らしい、なんて話を繰り返し、毎号述べているのだが、まあまさか、読んでいるとは思えないが、辻野晃一郎も、野口の主張に乗っかるようなことを書いていたと思う。
どっちも、日本が負けたのは、非寛容にあるということだ。
そこへ、高山正之が、ちゅどーん、と爆弾を落とす。
週刊新潮で連載中の「変見自在」である。
今週号において、旧日本軍は東南アジアを白人の手から奪い返したとき、イギリス軍の多くを捕虜にした。その数、実に、七万人。
カエサルに投降した二万人をはるかに上回る数字である。
そのほかにも、旧日本軍は、敵軍が遭難すると救助したりした。こういう話は結構ある。
これって、旧日本軍は、寛容政策をとっていた、ということだよね?
野口は知っているのか知らないのかわからないが、アメリカは建国当時から徹底した非寛容の国だった。ワシントン、リンカーン、ジェファーソン、アメリカの有名な歴代大統領の全てが、インディアンの大量虐殺者だった。彼らは本気で、インディアンをホロコーストしようとした。「インディアンは絶滅させるべき」と書いた文書まで存在しているほどだ。つまり、カエサルのローマがゲルマン民族を取り込んだのと違って、アメリカは現地住民を根絶やしにしようとしたわけだ。
そんな非寛容な国でも、独立戦争に勝利し、ベトナム戦争での敗戦以外のほとんどの戦争に勝利してきた。
旧日本が、野口や辻野のいうとおりのダメな国なら、第一次世界大戦においても勝利することもなかったはずだ。
戦後、中国はチベットを侵略した。中国はチベットよりも寛容だったとでもいうのだろうか?
いまアメリカは、アフガンでもイラクでも、テロリスト相手に敗北を余儀なくされつつある。テロリストたちは、アメリカよりも寛容だとでもいうのだろうか?
すなわち戦争の勝敗に当たって、寛容か非寛容かはそれほど関係ない。